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~王を導く娘~観相師

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 男性にしては長い睫が翳を落とす彼の顔は、本当に綺麗だ。明華は彼を起こさないように、眼を開き静かに彼の寝顔を見つめた。
 結婚もしていない男女が同衾するなんて、いつもの明華なら信じられないことだ。でも、今だけなら許されるかもしれないと思う。
 だって、これから観相師としての禁忌を犯そうとしている自分に未来はないかもしれない。ヨンの未来を変えれば、天罰が下るのは必定だ。その時、最悪、自分は生命を代償として差し出さなければならない。
 だとしたら、大好きな男と共にいられるのもあと少しだ。せめて今だけはヨンの腕の中で彼の綺麗な顔を眺めていたい。
 たとえ天命に逆らって、この身が現世(うつしよ)から消えてしまうその瞬間でも、彼の綺麗な顔を覚えておけるように。秀でた額も整った鼻筋も、引き締まった口許も、全部、全部、大好きな彼の顔を魂に刻み込んでおきたい。
 明華は甘えるように、ヨンの胸板に頬を押し当てる。
「殿下、大好きです」 
 この呟きも彼には聞こえないのが幸いだ。
 しかし、明華は知らなかった。この時、明華を腕に抱いた王が実はかすかに眼を開いていたのを。
 ヨンは政変が成功するまではけして明華への気持ちを伝えまいと決めていた。秘めていた胸の想いをついに明華に伝えてしまったーそのことで自分を責めていた。
 更に鋭い彼は、明華がまだ何かを隠していることを何とはなしに感じ取っていたのだ。
 うっすらと開いた彼の瞳には、紛うことなく気遣わしげな色があった。
 
 それからの日々、明華は気が気ではなかった。必ず大王大妃から再度のお召しがあると信じてはいたものの、確証があるわけではなかった。
 一日が過ぎ、二日が過ぎ、もしや、これは自分のとんでもない誤算なのではと焦りに駆られたりもした。その度に、
ー落ち着くのよ、崔明華。
 自身を叱咤し、何とかやり過ごしたのである。
 運命のその日は唐突に訪れた。ヨンが毒殺されかかったあの怖ろしい夜から数えて五日目の朝、待ちに待った知らせが舞い込んだ。
 大王大妃殿より使者が遣わされ、大王大妃が明華をお召しだと告げた。
 明華は七日前と同じようにムスリのお仕着せのまま、大王大妃殿に参上した。すぐに居室に通されたのは、明華がいかに大王大妃のお気に入りかを示すといえるだろう。
 後宮の実力者にして王室の最長老の大王大妃におもねる者は数知れず、ご機嫌伺いにおとなう者も多い。しかし、気紛れな大王大妃はたとえ相手と会う約束をしていたとしても、そのときの気分次第で追い返すのは珍しくないらしい。
 明華が拝礼を終えるのを待っていたように、大王大妃が口を開いた。今日も盛装し、髪はひと筋の乱れもなく結い上げて玉石の簪で飾り立てている。
「おお、待ちかねたぞ」
 機嫌の良い声で言い、手を振って差し招く。
「もっと近くに参れ。そこで話はできぬ」
 促され、明華は膝行し、文机を挟んで大王大妃に向かい合った。大王大妃の後ろには、先日と同様、年配の尚宮が影のようにひっそりと控えている。
「今日、そなたを呼んだのは他でもない」
 慎ましく面を伏せる明華に、大王大妃が弾んだ声音で切り出した。明華はわずかに面を上げるも、心の高ぶりは気ぶりほども出さない。
「先日も申したように、是非、私の未来を観て欲しい」
 明華は相変わらず視線を下げたまま、控えめに応える。
「大王大妃さまのお望みのままに」
「うむ。頼むぞ」
 大王大妃が言い終えたその時、明華はすかさず言った。
「つきましては、一つ、お願いがございます」
「何なりと申せ」
 明華はこの時初めて顔を上げ、大王大妃を真正面から見つめた。
「観相には相当の集中力を費やします。ゆえに、大王大妃さまと私だけにして頂きとうございます」
 明華の願いを聞き、大王大妃付きの尚宮の顔色がかすかに動いた。いつも影のように静まっている、存在感をまるで感じさせないこの尚宮には極めて珍しいことだ。
 大王大妃が事もなげに言った。
「そのようなことであれば、造作もない。沈(シム)尚宮、そなたは席を外せ」
「されど、大王大妃さま」
 沈尚宮と呼ばれた尚宮は、大王大妃の信頼も厚い第一の側近である。聞けば、大王大妃の乳姉妹に当たるそうで、長年仕えており、気性の激しい大王大妃を唯一上手く操縦できる人間だともいわれている。
 明華の言葉に、沈尚宮は難色を示した。どこの馬の骨とも知れぬ観相師と大王大妃を二人きりにはできないと判断したのは間違いない。 大王大妃の声が高くなった。
「良いから、外せと申しているのが聞こえぬのか!」
 柳眉を逆立てる大王大妃を見て、尚宮が溜息を洩らす。チラと明華を牽制するように見て、静かに室を出ていった。
 もっとも、この忠義者の尚宮は隣室の扉にぴったりと張り付いて、明華がもし大王大妃に危害をなそうとしようものなら飛び込んでくるだろう。
 明華は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
 仮にあの尚宮がこのまま室に居合わせたとしたら、かなり厄介なことになった。これから明華が行おうとする術は、大王大妃だけにかかるとは限らない。十中八九、同席した尚宮も同じように術にかかるはずである。
 明華はできる限り、無関係な人間を巻き込みたくはないのだ。彼女が大王大妃に施すのは?浄心の術?だ。悪心を善心に変える術ゆえ、基本的に術を施された者に害はない。
 けれども、明華にとって初めて行う術であれば、どのような結果になるかは判らない。最悪、失敗する可能性も考えれば、大王大妃以外の者にまで術を施すのは躊躇われる。
 大王大妃が逸る心を抑えかねるように言う。
「では早速、始めよ」
「はい」
 明華は頷き、チョゴリの前紐に結んだ房付きの鈴を解き、手にした。
 大王大妃が不思議そうに明華の手許を見ている。
「そのようなものをいかがする?」
 明華は淡く微笑む。
「大王大妃さまの未来を拝見するのに必要なものなのです」
「ホウ」
 納得したように大王大妃が頷き、なおも食い入るように明華を見つめている。
 明華は小さな鈴を大王大妃の眼前に掲げる。腕を揺らし始めると、かすかな音が鳴り始めた。
 鈴そのものは小さく、親指の先ほどの大きさしかない。薄紅色に染まった愛らしい鈴に桜色の房がついている様は一見、女性の装身具のようでもある。
 鈴は何ともいえない音色を奏でる。チリチリと涼やかな音を立てている。明華は根気よく鈴を鳴らし続けた。
 最初は何も起こらず、明華も少し不安を覚え始めた頃、少しずつ変化が起き始めた。
「このようなもので、真に未来が読めるというのーか」
 大王大妃が言いかけ、ウッと額を押さえた。
「これは」
 大王大妃が切れ長の瞳をカッと見開く。
「おのれ、何か邪悪なる術を使ったな」
 視線だけで人を殺せるなら、間違いなく、この瞬間、明華は大王大妃に殺されていたに違いなかった。
 明華は笑んだまま応える。
「邪悪なのは私の術ではなく、あなたのお心ではありませんか、大王大妃さま」
「なっ、何をたわけたことを」
 抜かすーとまでは言えなかった。
 大王大妃は両手で頭を抱え、うずくまった。
「おっ、おお、頭が痛む」