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~王を導く娘~観相師

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 自分は男として失格だ。また明華を泣かせてしまった。挙げ句に、とんでもなく心配させて。
 狭い室の壁にはめ込まれた窓を通し、朝の光が差し込んでいる。ヨンは眩しげに眼を細め、掠れた声で言った。
「どうやら、私はまだ生きているようだね」
 明華が泣きながら言った。
「また、冗談みたいに言って。本当に危ないところだったんですよ」
 ヨンは頷いた。
「持っていた解毒剤は弱いものだった。もし私が飲まされたのが猛毒だったとしたら、効かなかったはずだ」
 ヨンに下から見つめられ、明華は彼からそっと視線を逸らした。
 彼は眼を閉じ、静かに言った。
「内医院の医官を呼ぶこともできなかったはずだ。一体、どんな手を使ったんだい、明華」
 明華は諦めたように息をつき、正直に言った。
「少しだけ術を使いました」
「術とは?」
 明華は彼に病を癒やせることまでは話していなかった。どこか後ろめたいような気持ちで言った。
「観相師は多少、術も使えます。例えば、引きつけを起こした子どもの発作を止めたりできます」
「何と、明華は医者でもあるのか」
 心底感心したように言うヨンに、明華は真顔で言う。
「それは違います。医師が施す治療と、私たち観相師が行う術は根本的にまったく異なるものです。医者は投薬によって基本的に身体の悪いところを治してゆきますが、観相師は身体の弱っている部分に直接、気を送り込んで気の循環を良くすることで回復させます」
 つまり、体調が悪くなるということは、身体を巡る気の流れが滞って起こるので、術士は自らの気を患者の気の滞っている部分に送り込むことで、気の流れを整え身体の状態をあるべき姿に戻すのだ。
 明華の説明に、ヨンはいちいち愕きながら頷いている。
 少しく後、ヨンがポツリと言った。
「明華も昨夜は、私に自分の気を与えてくれたのか?」
 コクリと頷けば、ヨンが優しい眼で彼女を見た。
「自分の気を他人に送り込めば、そなた自身はどうなる?」
 明華はまたも彼を見ないようにして言った。
「別に何ともありません」
 ややあって、彼が含み笑う気配がした。
「嘘をつけ」
「え?」
 思わず彼を見た明華に、ヨンが泣き笑いの顔で言う。
「自らの気を他人に与えれば、与えた方は相当に力を使うだろう。それくらいは観相師ではない私にも判る」
 ヨンがまた眼を閉じた。
「ありがとう、自分の身を削ってまで、そなたは私を救ってくれたのだな」
 明華は微笑んだ。
「殿下はこの国にとって必要な、代わりのきかない大切な方です。この国の民として、当然のことをしただけです」
「私が王だからという理由だけで、そなたは自分を犠牲にしたのか?」
 彼の問いかけに、明華はあたかも瞳の奥底に潜む真実を悟られまいとでもいうかのように眼を伏せる。
「私は取るに足らない存在です。私などのような賤しい民と殿下とでは、その存在を比べようもありません」
「それだけなのか?」
 いつしかヨンが眼を開き、じいっと彼女を見上げていた。
「正直に教えて欲しい。明華、そなたはいつか言ったな。私を好きだとあの時、確かに言った」
 四日前、妓生たちと戯れていたヨンは心ならずも、明華を傷つけてしまった。
 直後、彼は明華を待ち伏せて抱きしめ、謝った。その時、明華は涙ながらに彼に訴えたのだ。
ー私は馬鹿です。殿下は私のことなんて大勢いる女の一人だとしか思っていないのに、そんな男を好きになるなんて。
 明華にとっては、いまだに思い出すだけでも恥ずかしい話である。
「あれは」
 明華は口ごもり、諦めの吐息をついた。できれば身の程知らずな娘と呆れられ、余計に疎ましいと思われたくはなかったけれど、ああまで彼本人の前ではっきりと想いを口にしたからには今更、知らん顔はできないだろう。
 何より、一度、口に出した言葉は取り戻せないのだ。
「私は」
 眼を伏せ、後はひと息に口に乗せる。
「殿下をお慕いしています」
 明華はうつむいたまま、顔を上げられない。さぞ呆れたような、蔑むような視線が待ち受けているかと想像しただけで、溢れそうになった涙がこぼれてしまう。
「明華」
 優しい彼の声が明華を呼んだ。
「こっちにおいで」
 おっかなびっくり近づいた彼女の髪に、ヨンの手が伸びた。この上なく、泣きたいほど優しい手つきで、彼はゆっくりと手触りを愉しむかのように、彼女の髪を撫でた。
「私もそなたを好きだ」
 次の瞬間、彼が口にした科白に、明華は耳を疑った。
 今、ヨンは何と言った? 確かに彼も我が身を好きだと言わなかったか?
 信じられないといった彼女の顔を見つめ、真摯な声音で、彼はもう一度繰り返す。
「明華が好きだ」
「あー」
 思わず、ツゥーと澄んだ雫が明華の白いすべらかな頬を流れ落ちた。ヨンはその涙を人差し指でぬぐい取った。
「この涙も、そなたの身も心もすべては私のものだと思っても良いのか?」
 溢れ出る感情が言葉にならず、明華は幾度も頷いた。
 ヨンが微笑む。
「同じように、私の心も身体も全部そなたのものだ」
 だから、と彼は続ける。
「私にとって、そなたはこの世で最も大切な女だ。どんなことがあったとしても、守りたい。このようなことを言えば、王としては失格であろうが、もし国とそなたとどちらを選ぶかと問われたら、私は迷わず、そなたを選ぶ。だから、頼むからもう二度と、自分に何の価値もないなどと哀しいことを言うな。私のためにも、自分を大切にしてくれ」
「殿下」
 明華は涙が止まらない。ヨンの言葉一つ一つにこもった真心が彼女の心を柔らかく解し、潤していった。
「それにな、明華。そなただけではない。この国の民一人一人の生命はどれもがこの上なく尊いものだと、私は考えているよ。生命の重さも、人としての価値も、誰もが同じだ。王であろうと、民であろうと、大切な存在であることに変わりはない。私は自分が王だからといって、特別な人間だと考えたことはないんだ」
 明華は涙を零しながら頷いた。
 王であろうと、民であろうと、大切な存在であることに変わりはない。
 彼の言葉は真っすぐに明華の心に響いた。
 そう、こんな男だからこそ、彼の未来を変えなければならない。
 彼はこの朝鮮にとって、かけがえのない必要なひとなのだ。
 大好きな男と両想いになれた。今の明華には歓びに浸ってばかりはいられなかった。
 彼が明華を誰よりも守りたいと言ってくれたように、明華もまた彼を守りたい。そのためには、まだ自分にはなすべきことがある。
 けれど、ヨンに真実は話せない。優しい彼のことだから尚更、話せない。これから明華がしようとしていることを知れば、彼は絶対に止めるだろう。
 良い加減に泣き止まなければ、彼を困らせるだけだ。そう思うのに、何故だか涙が止まらない。 
 ヨンは、明華の涙が止まるまで漆黒の髪を撫で続けてくれ、明華は彼の大きな手のひらに撫でられている中に、また昨夜の疲れから眠ってしまった。
 次に明華が目覚めた時、明華は褥に横たわる彼の腕の中にいた。丁度、ヨンの腕に閉じ込められ眠っている体勢である。
 ヨンもまた完全に回復しているわけではないのだろう、寝息を立てていた。