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~王を導く娘~観相師

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 大王大妃はいつまでも廃妃ユン氏を忘れず、楯突く息子を扱いかね毒殺したーとは、後宮に真しやかに流れる噂だ。果たして、本当かどうかは知れないけれど、大王大妃が明華に告げた抹殺者の中に前王がいなかったのは偶然なのか。
 明華としては、実の母が息子を殺害したとは思いたくないところだ。
 普通なら知れば即殺される秘密を聞かされたということは、明華がよほど大王大妃に気に入られたという証でもある。
 本音を言えば、あのような悪に染まりきった大王大妃とは関わり合いになりたくない。大王大妃の纏う負のオーラが全身から灰汁のようにユラユラと滲み出ているのが明華には見えた。
 ああまで邪悪に染まった大王大妃を善人に変えるなど、自分にできるのだろうか。不安はいや増すばかりだ。しかも、自分が使おうとしているのは倭国のまじないの書に書かれている?水琴鈴?を使っての術であり、これまで聞いたこともなければ使ったことさえない術である。
 考えただけで、回れ右をして逃げ出したい衝動と闘わねばならない。
 けれども、ヨンのためには逃げ出すことも許されないし、できないこともやらなければならない。彼の悪しき運命の流れを善き方へと転ずるには、試してみるしかないのだ。
 明華はムスリたちが暮らす殿舎まで、重い足取りで帰路を辿った。
 
 今日も都大路は、あまたの人が忙しなく行き交っている。かつて明華が観相の看板を出していた四つ辻には、顔見知りの鶏肉屋がちゃんといた。
「おじさん、久しぶり」
 明華が声をかけると、中年の人のよさげな顔が輝いた。
「おう、久しぶりだな」
 今日は流石にムスリの制服ではなく、木綿のチマチョゴリを纏っている。きなりの上衣に、薄紅色のチマは上等ではないが、明華の娘盛りの愛らしさを十分に引き立てていた。
「急に姿を見せなくなっちまったんで、心配してたんだぜ」
 言葉だけではなく、本当に心配そうな顔だ。
 明華の心がほんのりと温かくなった。宮殿は本当に怖ろしいところだ。ヨンが鬼の住処だと言ったが、まさにその通りだと思う。
 ここ下町でその日を精一杯生きている庶民には想像も及ばない暗黒の世界、それが王宮だ。
 貧しい者たちは互いに助け合っていかなければ、生きてゆけないと知っている。もし眼前のこの鶏肉屋をよくよく観れば、闇どころか、眩しい光のような気が発散されているのが見えるはずだ。
 この善良な男には、邪心は欠片ほどもない。
「心配かけて、ごめんなさい」
 明華は事情があり、ムスリとして宮仕えを始めたのだと語った。
「何てことだ。明華が宮女さまになったてえのか」
 素っ頓狂な声を出し、愕きを露わにする男に、明華は笑った。
「だから、私は最下級の雑用係だってば。宮女さまなんてたいそうなものじゃないのよ」
「いやいや」
 鶏肉屋は真顔で首を振る。
「後宮の水に浸かっただけはあるぞ。以前は無かった気品も出てきたし、何より別嬪になった」
「いやあね、下働きに気品なんてあるはずもないのに」
 明華は笑い飛ばし、ふと訊ねた。
「それよりも、おじさん。この辺りに鈴を売っているお店って、あるかしら」
「なに、鈴だって?」
 鶏肉屋はまた大袈裟に愕き、両腕を組んだ。
「また何だって、そんなものが要るんだ?」
「まあ、色々とね」
 曖昧に濁しても、鶏肉屋は詮索はしない。互いに知られたくないことには踏み込まないのも、助け合って生きる下町の民の暗黙の掟だ。
 鶏肉屋が思案顔で言う。
「鈴といやア、そりゃ小間物屋じゃねえのか

「小間物屋ねぇ、やっぱり、そうかしら」
「久しぶりの里帰りだ。今日はうちで夕飯でも食べてけよ。マンドクもお前に会いたがってたしな」
 マンドクというのは、鶏肉屋の息子である。実は明華に好意を持っているのだが、明華はむろん知らない。
「ありがとう、でも、今日は鈴を探さなければならないの」
「残念だな。今度は、もっとゆっくりしてゆけよ」
 鶏肉屋は落胆したように言った。
 明華は礼を言い、すぐに小間物屋に向かった。
 小間物屋は目抜き通りでも最も賑やかな一角に店を出している。軒を連ねた露店もこの辺りで終わり、これより先はちゃんとした店を構えた表店が圧倒的に多くなる。
 様々な年代の女たちが小間物屋の前にたむろって品物を物色している。色もとりどりの彩なノリゲが紐につり下げられ、冬の陽差しに煌めいている。
 もっと時間があれば明華も色々と眺めてゆきたいところだ。中年の露天商が荷を広げた露台の上には、櫛、鏡、かんざし等が所狭しと並んでいる。片隅に籠に入った鈴が見えた。
 明華は女客たちをかき分け前に進み、露台の前に立った。籠に盛られた鈴を一つ一つ手にとって検分する。
 手に持って振ると、チリチリと音はする。ーが、あくまでも、ごく普通の鈴の音だ。
 当然だと落胆が波のように押し寄せた。倭国でまじないに使用されている水琴鈴とやらが朝鮮の下町で見つかるはずもないのだ。
 けれど、ここで諦めて引き返すのは嫌だ。
 明華は、むっつりと座り込んでいる露天商に話しかけた。
「おじさん。水琴鈴って、ご存じ?」
 四角い顔の男がチラリと上目遣いに彼女を見る。
「スイキンスズ? 何だ、そりゃ」
 そこで、明華は手っ取り早く説明する。
「倭国に水琴窟というものがあるらしいの。その水琴窟の音に似た綺麗な音を立てる鈴だそうよ」
 小間物屋が首を傾け、振り返った。
「おい」
 物陰から、二十歳前後の赤ら顔の娘が現れた。
「お前、倭人から鈴を貰わなかったか?」
 娘がチョゴリの前で結んだ紐に手を当てた。見れば、ノリゲの代わりか、房のついた鈴が結びつけられている。
 明華が期待を込めて男と娘を見た。
 小間物屋が野太い声で言う。
「うちの娘がついひと月ほど前、倭人に貰った鈴だ。布を商う商人と一緒に海を渡ってきた神官? だとか言ったっけ」
 最後は娘に振ると、娘が口を尖らせた。
「神官じゃないよ、陰陽師だよ」
「何だそりゃ」
 男が眼を見開く。明華はすかさず娘に問いかけた。
「その倭人は陰陽師だと名乗ったのですか?」
 あまりの剣幕に、娘が気圧されたように言う。
「うん、何でも朝鮮で言う占い師のようなものだとか話してたよ」
 男が割って入った。
「うちの娘が空腹のあまり、行き倒れになりかけた、その陰陽師とやらを助けたんだよ」
「助けたというほどじゃないよ。持っていた握り飯を上げただけ」
 詳しく聞けば、倭国から商船に乗り込んで朝鮮に来た陰陽師は、商人とはぐれ都の下町で迷子になっていたそうだ。一日歩き回り、掏摸に財布をすられ、ろくに食べずにいたところ、空腹で眼を回しかけた。
 その時、娘がたまたま通りかかり、彼に自分の弁当を与え、親切に倭人がよく滞在するという商館まで彼を連れていった。別れ際、陰陽師が娘に礼だと小さな鈴をくれたというのだ。
ーこれは水琴鈴と申し、持っているだけで持ち主を守り、その妙なる音色を聞けば更に心に積もった憂さや邪念をきれいさっぱり洗い落としてくれる。いわば、最強の護符だ。異国の心清き娘の親切に心よりの感謝の印として、進呈しよう。