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~王を導く娘~観相師

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「あんなの、気にするのも馬鹿らしいわよ。国王さまといったって、顔が綺麗な所詮、女にしか興味の無い阿呆男ですもの。私たちとは生きる世界が違う人だから、普通の常識が通用しないのよ」
 彼女の声は聞こえているけれど、涙はいっかな止まらない。
 今し方、ヨンが明華に向けた視線は、まるで路傍の石を見るかのようだった。
ー男が摘みたくなるのは野に咲く貧相な花などではなく、艶やかに咲き誇る花園の花よ。
 到底、演技だとは信じられないような物言いは流石に堪えた。
 もしや、あの科白は満更、嘘ではないのかもしれない。ムスリのお仕着せを着た明華と彼が侍らせていた妓生たちでは、まさに月と石ころの違いがあると自分でも思わざるを得ない。
 けれど、我が身は、そんな男のために生命を賭けようとしているのだ。もし、そのことをこの気の良い同僚に打ち明けたら、絶対に止めるか、馬鹿げていると言われることだろう。
 明華の涙は、提調尚宮の殿舎に着くまで止まらなかった。

 明華たちとすれ違った後、ヨンは心が疼いてどうにもならなかった。
ー可哀想なことをしてしまった。
 偽りの人間を演じる日々が長すぎて、心にもないことを滔々と口にできる人間になり下がった。先刻の自分のすべてが、明華を傷つけたのは疑いようもない。
 大きな愛くるしい瞳を真っ赤にして、彼女はヨンを見上げていた。あの後、どれだけ泣いただろう。
 誰よりも守りたい、大切にしたいと願う娘をまた泣かせた。
ー私は本当に、どうしようもない男だな。
 だが、あの場は常のように?女好きの愚王?を演じきるしかなかったのも事実だ。本当は明華に駆け寄り、偶然にも会えた嬉しさのあまり、彼女を腕に抱えて宮殿中を走り回りたいほど嬉しかった。
 けれど、そんなことができようはずもなかった。反正の可否は自分にかかっている。ソン・ジュンシン初め大勢の忠義の者たちの運命をこの身は背負っている。
 ヨンは知らず、自らの肩に手で触れた。
 彼の心中も知らず、妓生が華やかな声を上げた。
「それにしても、本当に垢抜けない小娘でしたわね、殿下」
 ヨンは最初、妓生の言っている小娘が誰なのか判らなかった。それほど、明華の泣きそうな顔に心を奪われていたのだ。
 今すぐにでも彼女の後を追いかけ、抱きしめて謝りたい衝動と闘っていた。
 今度は別の妓生の声が応じた。
「あのような地味な容貌で畏れ多くも国王殿下のご寵愛を戴こうだなんて、媚を売るのは身の程知らずというものではありませんか」
 はしゃいだ声が酷く耳障りに聞こえる。
「ムスリ風情が殿下のご尊顔を見るなど、何と心得のない不作法な娘でー」
「ー黙れ」
 低い声で言えば、両脇の妓生は戸惑ったように口を噤む。
「どうなさったの、殿下」
 最初の妓生がヨンの肩に手を回し、もたれかかろうとするのを振り払い、彼はぞんざい言った。
「今日は疲れた。興がそがれたゆえ、宴はまた後日だ」
 踵を返し、さっさと大殿に戻るヨンに、妓生たちは完全に取り残された形となった。
「何なの」
「先刻までは、ご機嫌だったのに」
 左右の妓生は互いに顔を見合わせ、不満げに頬を膨らませる。背後を取り巻いていた数人は姉女郎のご機嫌斜めのとばっちりが来ないかと不安顔だ。
「何をしてるの、さっさと付いてきなさい。もう帰るわよ」
 お目当ての国王から今日は用済みだと言われたなら、彼女たちは引き上げるしかない。
 王に放り出された妓生たちは憤懣やる方なしに妹分の妓生に腹立ち紛れの声を張り上げた。

 同じ日の午後、明華は茫然とムスリたちの棲まう殿舎を歩いていた。耳奥ではヨンの声がいまだに鳴り響いている。
ーやっぱり、殿下は妓生のような華やかな女人が好きなのね。
 自分のような平凡で地味な娘が国王に恋い焦がれるなんて、土台分不相応な話だ。それは明華にも判っていた。
 時折、彼が向けるまなざしに潜む熱や気遣ってくれる優しさを誤解していたのだろう。
 思い上がっていた付けがここでやって来たのだ。また滲んできた涙を手のひらで拭った時、背後から抱きすくめられた。
ーな、何?
 明華は愕き、渾身の力で暴れた。まさか後宮内で下級とはいえ女官に狼藉を働く不埒者はいないと信じたいところだが。
「シッ、私だ、明華」
 聞き覚えのありすぎる声が耳許で囁き、明華の身体から緊張が抜けた。身体を拘束していた手が離れる。
「殿下」
 明華は恨めしげにヨンを見上げた。
「一体、誰かと愕きました」
「済まない。ちょっと愕かせようと思ったんだが、悪戯が過ぎたかな?」
 ヨンが頭をかいている。ふいに今朝の哀しい出来事が蘇り、明華はうつむいた。
「明華、ごめん」
 今度はいきなり抱きしめられ、明華は固まる。
「朝、明華とすれ違ったときのことだ。本当に済まなかった。もちろん、あれは本心などではない。どれだけ明華を傷つけたかと思うと、居ても立ってもいられなかったよ」
 明華はまた涙が湧き上がるのを堪え、無理に微笑んだ。
「良いんです、気にしないで下さい。私なら、大丈夫ですから」
 明華の絶望に染まった顔に、ヨンは胸をつかれたようだ。
「何が大丈夫なものか。自分の顔を鏡で見ると良い。今にも泣きそうな顔をしている」
 明華はうつむいた。
「だって、本当のことだもの」
「ー」
 物問いたげなヨンに、明華は彼の顔を見ないまま言う。
「妓生たちが言ったのは全部、当たっています。私は彼女たちと違って綺麗でもないし、ムスリの制服がお似合いの貧相な小娘にすぎません」
「そんなことはない! 明華は十分綺麗だし、、何より彼女たちにはない心の美しさがある」
 ヨンがムキになったように言うのに、明華は小声で訴えた。
「離して下さい。こんなところを誰かに見られたら、困ります」
「どうして! 私は王だ。誰に見られても構いはしない」
 明華が哀しげな声で言った。
「所詮、私は殿下にとって、気紛れに弄ぶだけのムスリなんですね。国王さまだから、後宮の女はいつどこで好きにしても良いの?」
「それは違う。明華、お願いだ、聞いてくれ。私は真剣にそなたのことをー」
 明華に両手で胸板を突かれ、ヨンはよろめいた。その隙に彼女は急いで彼の腕から逃れ、距離を取る。
「私は馬鹿です。殿下は私のことなんて大勢いる女の一人だとしか思っていないのに、そんな男を好きになるなんて」
 ヨンが眼を瞠った。
「明華、もしかして、それは、そなたが私を慕ってくれているということか? 私の自惚れではなく、そなたの気持ちは私に向いていると思って良いのか」
 勢い込むヨンに、明華は烈しくかぶりを振った。
「大嫌い。あなたなんて、大嫌い」
 明華は泣きながら身を翻す。後に残されたヨンは魂を抜き取られたかのように立ち尽くした。
ー私は馬鹿です。殿下は私のことなんて大勢いる女の一人だとしか思っていないのに、そんな男を好きになるなんて。
 ヨンの脳裡では、明華の言葉が鳴り響いていた。
「そうか、明華も私を好きなのか」
 何だか身体の底から沸々と気力が湧き上がってくるような感覚に、彼は笑みを深めた。何という幸運だ。初めて恋した娘からも同じように想われているなんて、自分は最高に幸せな男らしい。