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~王を導く娘~観相師

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 ひと度、反旗を翻せば、大王大妃は今度こそ情け容赦なく彼を叩きつぶしにかかるだろう。どちらかが死ぬか、生きるかで、共存の道はない。
 そんなものがあれば、彼はとうに大王大妃に妥協案を持ちかけていたに違いないのだ。
 ヨンは重く長い息を吐き、再び歩き出す。
内官長がまた合図して、一行はぞろぞろと移動を始めた。
 この寒さの中、王の気紛れで待たされるのも良い加減にして欲しいー内官長の顔には、あからさまにホッとしたような表情が浮かんでいた。
 どこかでまた、鳥が啼いた。

 また、眼が霞んできた。明華は溜息をつき、すっかり凝り固まった肩を拳で軽く叩く。
 それからすぐに視線を手許に戻し、先刻までのように書を読み始めた。ヨンから復讐の話を聞かされて以来、彼女は夜は専ら読書に集中していた。
 ヨンとこの前に逢った二日後、明華は折良く休暇だった。一日、自由時間を与えられ、町に出たのだ。
 家にも戻っても、どうせ待ってくれている家族もいない。だから家には帰らず、真っすぐ向かったのは町外れの書店だった。
 学者肌の主人が営んでいる本屋には、清国渡りの稀少な書物から女子どもが好むという通俗小説まで、ありとあらゆる本が揃っていると評判である。
 何でも、四十年配の主人はかつては官僚を志し、科挙に壮元及第(首席合格)したこともある秀才だとか。
 明華が相談すると、主人は書見を中断し、彼女の顔をまじまじと見た。ほどなく、縦長の書棚が幾つも並んだ狭い店奥から数冊の書物を持ち出してきた。
ーうちの店は古今東西、どんな本でもあると自負しているが、流石に占いの本は数が少なくてなぁ。
 申し訳なさそうに言う主人は、小柄で見かけはどこにでもいるような中年だが、眼だけは鋭い光を放っていた。あたかも対する者の心を見抜くような眼光は、どこかで見たことがあると思ったら、実はヨンに似ていたと気づいた。
 どこまでも穏やかで優美な貴公子然とした彼だけれど、時折、双眸に閃く光は彼がただ者ではないのを物語っている。彼を暗君だと誹る者は、彼のほんの見せかけしか見ておらず、良いように騙されている。
 ここのところ、ヨンの存在は明華の心にどっかりと居座り、ふとしたときには取り留めもなく彼のことばかり考えている。彼の方は自分のことなど恐らく、からかい甲斐のある小娘くらいにしか見ていないのに、自分だけが彼をどんどん好きになってゆくのが怖い。
 このままでは、際限なく恋情が深くなってゆきそうだ。
 明華はふと浮かんだ彼の面影を慌てて追い払い、書店の主人に言った。
ー占いじゃありません、観相です。
 主人は人差し指でポリポリと髪の毛をかいた。ちらほらと白いものが混じっている。明華の父が生きていれば、このくらいなのかもしれない。
ーうむ、そう言われても、素人には所詮理解の及ばない領域だ。儂にとっては観相も占いも一緒だよ。
 彼は存外人のよさげな笑みを浮かべ、積み重ねた数冊の本を差し出した。
ーまあ、このくらいかな。必要なものがあれば、持ってゆきなさい。
 結局、明華は五冊すべてを買い取った。主人は全部まとめて半額で良いと言ってくれたものの、流石に甘えられないと辞退した。もっとも、主人は頑固で、半額以上の金子は受け取らなかった。
 今、明華が読んでいるのは、書店で買った書物の一冊である。あれから十日間、仕事が終わり自室に引き取ってからは、毎夜、夜を徹して読書にいそしんだ。
 主人の言葉は正しかった。五冊の中、三冊はいわゆる?占い?に関するもので、一冊は西洋の魔術に関するものだったし、後は手相と倭国のまじない本だ。残りの二冊が辛うじて観相について書かれた本だったが、どれも目新しいことは書かれておらず、疲労もあいまって落胆は大きい。
 今は二冊目の観相の本を読み終えたところだ。正直、ここに書かれている内容は、明華が母から口伝で受け継いだ教えと、今まで独学で読んだ指南書以上のことは書かれていない。
 はて、どうしたものか。明華は両手をうーんと上に突き上げた。ゴロリと床に寝っ転がり、しばらくぼんやりと天井を見つめた。
 実のところ、明華が探しているのは究極の?復讐?法である。何かといえば、流血沙汰にせず、事態を変える方法だ。もっと判りやすくいえば、戦わずして相手の気持ちを良い方へ変える方法だ。
 そして、この場合、誰の気持ちかといえば、大王大妃に決まっている。随分とまどろっこしいやり方だと我ながら思うが、ヨンに?反正?を起こさせないように、彼が兵を挙げる前に事態を変えるには、この方法しかない。
 明華が観た彼の未来は、惨憺たるものだった。あの未来絵図と彼の復讐の話から得た応えは、反正の失敗でしかない。
 反正は不首尾に終わり、恐らくは、そのせいと見せかけの素行の悪さから、ヨンは後世の歴史書に?稀代の暴君?と刻まれることになる。だとすれば、彼に反正を起こさせないようにするのが先決であり、流血沙汰になれば、その分だけ彼の未来はあの地獄絵図に近づくことになる。
 明華は気合いを入れて掛け声をかけ、身を起こした。まだ眼を通していない本が一冊だけある。まあ、どうせ、たいしたことは書かれていないだろうけど。
 明華は最後の一冊を文机にひろげた。これは倭国(日本)にいにしえより伝わるまじないについて書かれているらしい。明華も観相師として興味を惹かれる内容ではあったので、面白く読み進めていった。
 刻の経過も忘れてページを繰っていたある時、明華の手が止まった。
「うーん、これは」
ー水琴窟は日本庭園の装飾の一つであり、琴のごとき美しい音が出る仕掛けなり。水琴鈴は水琴の音を再現したものなり。
 ?水琴鈴?について書かれた箇所には、明華が最も知りたいと願うことが余すところなく説明されていた。
 水琴窟の構造は、手水鉢の近くの地中に作り出した空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けである。手水鉢の排水を処理する機能を持つという。
ー古来より、清き音色は魔を払うと謂ふ。この鈴は護符、魔除けとしても強力な力を持ち、清き妙なる音色を聞かせれば、邪心ある者の心もたちまち洗い清められ、善き心に変ずるものなり。
 次に、実際に水琴鈴で極悪人の心を変心させたという例が幾つか続いている。
「例えば、とある帝の御世、外戚として権力をふるっていた大臣が言うなりにならない帝を誅し奉ろうとしたが、帝の信頼も厚い陰陽師が水琴鈴を使って大臣の悪心を清め、改心させた、とか」
 明華は呟き、書をひらいたまま両肘を机につき顎を乗せた。
「本当にこれが使えるかしら」
 倭国といえば、朝鮮とも大昔から国交があった比較的近しい、海の向こうの小さな島国である。何代か前の王の御世には、倭国が我が国に攻めてきた歴史もあるから、単純に友好国だという認識があるわけでもなく、複雑な想いもあったけれど、今は頓着しているときではなかった。
「水琴鈴って、要するに単なる鈴よね」
 水琴の仕組みも、水琴鈴がその水琴の清浄なる音を再現したものであるのも理解はできる。ただ、そんなもので容易く悪心を善心に変えられるのか疑わしいところでもある。