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~王を導く娘~観相師

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 彼が望むなら、今夜、すべてを差し出しても構いはしない。神力を持つ巫女と違い、観相師は男と交わったとしても、能力を失うことはない。現に、母も父と所帯を持った後も、生涯、現役の観相師として活躍した。
 ヨンにとっては、明華は数ある女たちの一人に過ぎないのは判っている。側室でもない明華は、多分、一夜限りの慰みものになるだろう。
 それでも、大好きな男が初めて抱かれるひとになるなら、身を投げ出すだけの価値はあるかもしれない。静かな諦めがひたひたと押し寄せる波のように迫った。
 けれどー。身体にかかっていた男の身体の重みは突如としてなくなった。ゆっくりと眼を開いた明華の瞳に、ヨンの男性にしてはやや優美な容貌が一杯に映り込む。
 伸ばされた彼の手をごく自然に取り、明華は立ち上がった。
 彼は深く長い息を腹の底から吐き出し、あらぬ方を見つめている。
「泣くほど嫌なら、思わせぶりなことを口にするんじゃない」
 永遠にも思える沈黙の後、ヨンの低声が余韻に低く響いた。彼のひと言に、知らず手のひらを頬に当てると、確かに頬がかすかに濡れている。
 ヨンに口づけられて泣いていたのだーと、初めて知った。つい、思ったことがそのまま口に出た。
「思わせぶりなことを何か言いましたか、私

 本当に自覚がなかったから訊ねたのだけれど、ヨンは苦笑を深めただけだ。
「これだから、お子さまは困る。妙に大人びた余裕があるから、ここまでねんねだとは考えもしなかった」
 どうしようもないとでも言いたげに首を振り、彼は溜息と共に言った。
「私がそなたをからかっても、嫌なことをしないと自信たっぷりに言っただろう?」
 明華は不思議そうに眼をまたたかせる。
「あれが思わせぶりなのですか?」
 ヨンが天を仰ぐ仕草をした。
「まったく、何てことだ。その歳で、どこまでおぼこなのか」
 ヨンの整った顔から笑いが消えた。
「良いか? 今夜は私が相手だから良かったようなものだけど、これが別の男なら、間違いなく明華は頭からガリガリと食べられていたぞ?」
「食べられる? 殿下は私を召し上がろうとしたのですか」
 明華はよく判らなくなってきた。普通、口づけの後は?行為?をするのではないか。それをすれば、男女の間には子ができると聞いているが。
 なので、純粋な疑問を口に乗せた。
「殿下は行為をなさろうとしたのでは?」
 グエっともブハッともつかない、苦しげな声が聞こえたかと思うと、ヨンが大仰にのけぞっていた。
「こ、行為って、明華。そなた、言葉の意味が判って口にしている?」
 明華はあっさりと頷く。
「行為をすれば、女は懐妊し、夫婦の間には子が生まれます」
 ヨンは頭を抱えている。
「何だかな。確かに言葉通りでゆけば間違いはないが、私が思うに、そなたの知識は何かかが著しく欠けているような気がするぞ」
「何が欠けているのでしょう」
 大真面目に問う明華を見て、ヨンは額に手を当て唸る。
「もう良い。この話は時を改めてするとしよう。そなたには、色事の指南役が必要なようだ」
 と、明華が途端に哀しげな表情になった。
「実は、そのことが悩みでもあるのです」
「えっ」
 ヨンは皆目判らないといった様子である。
「観相を依頼するお客さまは色々な方がおられます。中でも若い人に多いのが恋の悩み。でも、私、実はその方面は苦手で」
 観相師としての能力はある方だから、未来は読める。読めるが、具体的な相談内容に踏み込むと、何故か相談者の話の中で理解できない部分がある。それが実のところ、?行為?に関するものなのだが、明華は理解できないのは観相師として我が身がまだ未熟ゆえだと信じている。
 明華の悩みを詳しく聞いたヨンは、今や、すっかり毒気を抜かれたようである。
「いや、それは多分、そなたが観相師として至らないわけではない。そなたがまだ無垢すぎるのだ」
「そうなのでしょうか」
 十一歳で母を失って以来、たった一人で生きてきた。頼りにする親戚もおらず、頼みは母から受け継いだ観相師としての能力だけだ。
 まだ親に甘えたい年頃から、一人で世間を渡ってきた自分はけして世間知らずではないと自負しているのだが。
「私は、そんなに世間知らずでしょうか、殿下」
 しゅんとなった明華にヨンが手を伸ばしかけ、その手が宙で止まる。しばらく躊躇っていたかと思うと、やがて、彼の大きな手のひらが明華の艶やかな髪をくしゃっと撫でた。
「世間知らずなのではない。あの椿を見てみなさい」
 ヨンが指した方には、月の光に照らされ、白い椿が揺れていた。
「例えるなら、今のそなたは、あの椿と同じだ。まだ何の色にも染まらぬ、純白だ。されど、あの椿もやがて大人になり、あでやかな色に染め上がる日が来る。そなたも花開くまで、誰にも、その身を触れさせず汚されることがないように気をつけねばならないよ」
 明華は子鹿のように大きな瞳を瞠った。
 ヨンの話は理解できるようでいて、やはり、一部分が難しくて理解できない。
 ヨンが笑いながら、また手を伸ばし明華の髪を撫でた。
「叶うことなら、そなたを別の色に染め変える最初の男は、私でありたいものだ」
 クシュンと明華が小さなくしゃみをし、ヨンが我に返ったように言った。
「とにかく中に入ろう。寒い中で随分と過ごしてしまった」
 十日前と同じようにヨンが先に殿舎に入り、明華が続く。かつて淑媛ユン氏が暮らしていた居室で、文机を間に二人は向かい合った。
 ヨンが低めた声で話し出した。
「私の周囲には、これまで信用に値する人間は殆どいなかった。私が容易に心の内を明かさないのも、そういった生い立ちが関係していると思う」
 明華は余計なことを言わず、頷くにとどめた。ヨンがこれからする話が疑問ー彼女がずっと抱いていた想いーに関与するものだと察せられたからだ。
「だが」
 ヨンが改めて明華を見つめた。透徹な双眸は、明華の腹の底まで探ろうとするかのように鋭い。いつも穏やかで優しい彼はこんな眼もするのだと、初めて知った。恐らく、この怜悧で何者をも寄せ付けない顔が王としての彼の本来の姿なのだ。
 彼は、なおも明華の意を探ろうとするかのように見つめ続けていたが、やがて、小さく息を吐いた。
「そなたであれば、信用できると見た」
 明華の全身に漲っていた緊張感が俄に解(ほど)けてゆく。彼女自身もまたホウと息を吐いていた。
「私は大王大妃に生命を狙われている」
 続く彼の言葉は、明華の想像の限界を超えていた。声もない彼女に、ヨンは淡々と話す。
「私には同腹の弟がいる。二つ違いで、今は既に妻帯して独立した屋敷を構えているが」
 明華にも何となく話の向かう先が見えた気がした。
「もしや大王大妃さまは弟君を次の王に立てようと目論でいるのでは」
 ヨンが口の端を引き上げる。
「流石だな。察しが良い」
「弟は病弱で、気の弱い男だ。大王大妃にとっては格好の操り人形になるだろう」
 ヨンは更にサラリと言った。
「加えて、弟にはまだ乳飲み子の息子がいる。仮に弟が大王大妃に刃向かうようなら、赤児を王位につければ済むだけの話だ」
 口には出さないが、その前に現王である彼と、次の王にと考えている王弟を抹殺してからの話であることは疑いようもない。