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~王を導く娘~観相師

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 秀でた額から鼻筋が通り、眼は清澄で曇りはない。男性にしてはやや大きめの瞳、綺麗に弧を描く眉は太すぎもせず程よい男らしさだ。口許はきりりと引き締まり、几帳面で誠実な人柄を表している。
 わざわざ観るまでもなく、この若い客が滅多にないほど整った骨相をしているのはひとめで判った。それは単なる容貌の美醜とはまた別の話である。
 明華はしばらく惚(ほう)けたように相手の顔を見つめていた。
「ーい、おい」
 御曹司が訝しげにこちらを見ている。
 気がつけば、降りしきる雪の中で、明華はみっともなく客の顔に見蕩れていたらしい。隣の鶏肉屋が忙しなく店じまいをしているのが横目に入った。
「あ、済みません」
 明華の白い面が染まったのは、何も寒さのせいだけではなかった。
ー私ってば、よくも知らない男の顔に見惚れるなんて。
 恥ずかしいったら、ありしゃない。穴があれば入りたいとは、まさにこのことだ。
「どうだ? 私の顔を観て、何が判る?」
 見かけに寄らず、せっかちな男である。近眼の明華は虫眼鏡ーちなみに、水晶玉と違い、こちらは本当に観相に必要であるーを持ち、グイと男に顔を近づけた。
 骨相は完璧だ。物心つく前から、ずっと観相師だった母の側で観相を見てきた。母が四年前に亡くなってからは、跡を継いだ。若くとも、占った人の数は数え切れない。
 懐妊中の女人であれば、お腹に宿った胎児の性別でさえ観える。生まれる前の赤児の性別だけをとっても、百発百中で外したことはないのだ。明華は自分の観相には、それなりの自信を持っている。
 難を言えば、眉と眉の間、つまり眉間がやや狭まり若いにしてはかすかな皺が刻まれているのが玉に瑕だ。何不自由ない坊っちゃんにも、彼なりの気苦労があるのだろうか。けれども、この程度であれば、この男の揚々たる未来にひっかき傷ほどの影響も与えはしない。
 だが。突如として、明華は軽い目眩を憶えた。立ちくらみとでもいえば良いのか。額を押さえうつむいた彼女に、客が不安げに問いかける。
「どうした?」
 明華はこめかみを押さえ、首を振る。
「申し訳ありません。ちょっと目眩がして」
「それは良くない。この寒さだ、私が無理をさせたのだな」
「たいしたことはありません」
 言葉通り、ふらつきはすぐに治まった。次の瞬間、明華は小さな悲鳴を上げて両手で顔を覆った。
「いかがしたッ、大丈夫か」
 男が机を回り込み、明華に近づいた。
「ご心配には及びません」
 明華は小刻みに華奢な身体を震わせながらも、気丈に応える。しかし、脳裡には先刻、観た怖ろしい映像が刻み込まれたかのように蘇っていた。
 それは怖ろしいものだった。一匹の美しい龍が苦悶にのたうち回っている。しかも、龍は鋭い矢に片眼を深々と射貫かれていた。
 とても綺麗な龍だった。青磁色の淡い緑の体躯に、瞳は薄青い天色(あまいろ)、利口かつ穏やかそうな丸い形をしている。でも、矢に傷めつけられた方は真っ赤な血の色をしていた。
ーあの映像は一体ー。
 まったくありもしない幻視が現れることはない。しかも、この男の観相をしている最中に観たとなれば、彼に紛れもなく関係しているはずだ。
 傷ついた美しい一匹の龍は、何を指し示すのだろう。さしもの明華もこの場ですぐに応えを導き出すことはできそうにもない。
 明華の心を知ってか知らずか、男の方は狼狽えていた。
「大事ないか、家はどこだ。この雪の中、一人で帰すのは不安だ。送ってゆこう」
「大丈夫です、一人で帰れますから」
 幾ら辞退しても、押し問答が続くばかりだ。仕方なく明華は男の好意に甘えることにした。机代わりの箱と畳んだ筵は空き店の軒下に寄せてしまい、水晶玉や虫眼鏡の入った背負い袋を背負おうとすると、すかさず横から奪い取られた。
「私が持とう」
 どうせ大丈夫と言っても、また押し問答するばかりだろう。明華は素直に持って貰い、二人は並んで大路を歩く。今や雪は止むどころか、眼の前も白く霞むほどの勢いで吹き付けている。
「一人で歩けるか? 何なら、私が背負うが」
「けっ、結構です」
 冗談ではない。見知らぬ男にいきなり背負われるだなんて。これでも一応、嫁入り前の娘なのだ。
 世の中には占い師を賤しい職業の者と見なす風潮が大きい。中には占い師を標榜しながらも、その実、自らの身体を売る女占い師も少なくないというから、致し方ない面もあるのかもしれないがー。もしや、この男も涼しげな外見に似合わず、明華をそんないかがわしい占い師だと信じ込んでいるのか。
 けれども、明華が固辞すれば、彼はそれ以上踏み込んではこなかった。
 こんな荒天では、道を歩く人はいない。無言で歩き続けている中に、いつしか大通りを抜け、見慣れた貧民街に入っていた。
 雪は相変わらず烈しく、最早、吹雪といっても良いほどである。家の手前で立ち止まり、明華は躊躇った。ここで男を帰しても良いものかどうか、良心がしきりに訴えかけてくる。
 どこの御曹司かは知れないが、この吹雪の中、屋敷まで帰るのはさぞ難儀に相違ない。せめて今少し吹雪が収まってから帰った方が安全なのは判っている。下手をすれば、途中で立ち往生どころか、生命取りになりかねない。
 明華は自分に言い訳をした。
ーこの男を引き留めるのは何も下心があるからではなくて、心配なだけ。
 考えてみるが良い。ここですげなく突き放し、明日の朝、名家の御曹司が雪の中で凍死なんて話を聞く羽目になれば、寝覚めが悪いではないか。
ーそうよ、彼を引き留めるのは何ももう少し一緒にいたいからではないわ。
 そんな風に必死になるところがはや怪しいのだけれど、当人はいっかな気づいていない。
「それでは、私はこれで」
 結局、彼は観相の結果を訊くこともせず、あっさりと踵を返そうとした。
「ー待って」
 明華は咄嗟に大きな背中を呼び止めた。
 男が数歩あるきかけたところで止まった。
「こんな吹雪の中、帰ったら、あなたも危険だわ。良かったら、うちにいて吹雪が収まってから帰って下さい」
 男がゆっくりと振り向いた。
「さりながら」
 彼の視線が戸惑いに揺れた。
「そなたは若い娘だ。家族がいればともかく、一人住まいなら、勝手に上がり込むことはできない」
 明華は微笑んだ。
「私の評判を気に掛けて下さっているのね。ありがとうございます。両班のお嬢さまでもあるまいし、そんなことは気にしません。ですから、ご遠慮なくどうぞ」
「申し訳ない」
 男は明華に誘われるままに、家に入った。家といっても、板の間が一つあるきりで、後は納戸と小さな煮炊き場があるだけだ。
「家の中といっても寒いでしょう」
 火鉢一つあるわけではない。それでも、吹きさらしの外よりはマシだ。男が小さなクシャミをした。明華は首を傾げ、納戸から一枚の胴着を持ち出してくる。
「こんなもので良かったら、お召しになって下さい」
 それは亡き父の形見の毛織りの胴着だった。男は胴着と明華を交互に見ていたかと思うと、素直に頷いた。
「ありがとう」
 大柄だったという父の胴着が長身の彼にもぴったりだ。