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~王を導く娘~観相師

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始まりの詞(ことば)

 月日は流れ、廃妃ユン氏の悲劇から十四年が経った。時代は変わり、新たに幕を開けようする物語がここにある。
 非業の死を遂げた名も無き影の王とユン・ソファに代わり、歴史の表舞台に登場したのはー。
 ついに、歴史という名の舞台が動き始めた。
















  雪の日の客人

 雪が、降っていた。その日のことは、恐らく明華(ミョンファ)にとっては忘れようとしても忘れられるものではなかったろう。
 その朝、独りで暮らす粗末な仕(し)舞(もた)屋(や)から出た時、振り仰いだ空には鈍色の雲が重く低く垂れ込めていた。今にも泣き出しそうな空模様は、明華の心まで昏(くら)く淀ませるようだ。
 明華はふと湧き上がった不安を振り払うかのように、軽く首を振り、慌てて家の中にとって返した。
 いつもと何ら変わらない朝の始まりである。一人でささやかな朝飯を食べると、身支度を調えて商売道具一式を抱えて家を出る。明華の仕事場となっている場所へ向かうのだ。
 明華の住まいは都漢陽の町外れにある。周囲は似たような家とは名ばかりの掘っ立て小屋を少しマシにした仕舞屋が続く。いわゆる貧民街だ。そこを抜けると、漸く大通りに至る。明華の暮らす貧民街と異なり、通りに面した商店は構えもある程度立派な表店(おもてだな)である。
 都の目抜き通りでもある大路は、今日も大勢の通行人が行き交っている。明華は商店が並ぶ一角を通り抜け、今度は露天商がひしめく界隈へと足を向けた。この場所こそが明華の仕事場なのだ。
「おっ、今日は少し遅かったな」
 明華を認め、四十年配の男が陽に灼けた顔をほころばせた。片手には包丁、もう一方には鶏肉の塊を握りしめている。この男はいつもこの場所に店を出している鶏肉屋だった。
「おじさん(アデユツシ)、おはよう。あまりにも寒くて寝床から出るのに時間がかかったのよ」
 明華が正直に言えば、鶏肉屋は大笑いした。
「そりゃ、一つ布団に入って暖めてくれる男がいないからだろ。何なら、俺ンちのマンドクの嫁に来い。歓迎するぞ」
 マンドクというのは、男の息子だ。明華もよく見知った顔である。
 明華は肩をすくめた。
「おじさん、私はまだやっと十五になったばかりなのよ?」
「いンや、十五といえばもう立派な女だ。明華、俺と嬶ァが所帯を持ったのは十七と十五、嬶ァはお前と同じ歳だったんだぞ」
「はいはい、判りました。もし貰い手がずっとなかったら、よろしくね」
 明華は適当に受け流し、自分も畳んだ筵を広げ手早く商売支度を整えた。小さな机代わりの箱に透明な丸い玉と虫眼鏡を載せる。
 明華と鶏肉屋が店を出している辺りは、長く伸びた大通りが四つ辻で分かれる場所だ。
 漢陽の空は相変わらず陰鬱で、じっと薄い筵一枚の上に座っていると寒さが足下から這い上ってきそうだ。
「それにしても寒ィな」
 鶏肉屋が襟巻きを巻いた襟元をかき合わせる。明華も頷いた。
「本当に冷え込みが厳しいわね。もしかしたら雪が降るのかもしれないわ」
 うえっと、鶏肉屋が呻いた。
「勘弁してくれよ。まだやっと師走に入ったばかりだぜ」
「今年はいつもより初雪が早いのかも」
「あー、お天道さままでが俺ら貧しい者たちの味方をしてくれねえのかね。寒いだけでも客足が減るのに、雪まで降りやがったら商売あがったりじゃねえか」
 憤懣やる方なしといった口調の男に、明華は肩をすくめて見せる。
「あら、おじさんはまだ良いわよ。汁飯(クッパ)に鶏肉は欠かせないもの。寒くたって人は食べなくちゃ生きてゆけないんだから、客足が絶えることはないわ。でも、世の中には占いなんて、うさんくさいと考えている人の方が多いんだから、雪が降れば困るのは私の方でしょ」
 そう、明華は占いを生業(なりわい)としているのだ。正しくいえば、観相師である。人の顔、骨相を見て未来を占うのだ。ひとくくりにいえば、占い師、中には巫女と呼ぶ人もいる。
「まあ、そう言っちゃそうだが」
 鶏肉屋は口ごもり、また溜息をつき、いかにも寒そうにブルッと身体を震わせた。
 そんな調子で常と変わらない一日が始まったのだが、案の定、隣の鶏肉屋には数人の客があったにも拘わらず、明華のところには訪問者はいなかった。
 これまたいつものように持参のお握りで昼を済ませ、明華は盛大な吐息と共に言った。
「おじさん、私の言った通りでしょ、おじさんのところにはお客さんが来たけど、私のところは誰も来なかった」
 鶏肉屋のせいでもないのに、どこか済まなさそうな顔で言う。
「流石は占い師だな」
「なに、それ。全然面白くない冗談」
 明華は本気でぶつくさ言い、立ち上がった。
「今日はもう帰るわ。この分だと夕方まで座っていても、誰も来なさそうだし」
 と、冷たいものが頬に触れ、明華は眼をまたたかせた。
「ー雪」
 鶏肉屋もつられたように空を見上げた。
「畜生、とうとう降ってきやがったな。道理で寒いわけだ」
 どうやら帰り支度を始めようとしたのは正解だったようだ。明華が水晶玉を背負い袋にしまおうとしたときのことである。
「済まぬが」
 往来を急ぎ足で歩いてきた若者が声をかけた。急に降り出した雪のせいで、通りを行き交う人々は皆、急ぎ足だ。
 明華は手を止めて、声のした方を振り返る。かなりの長身の男らしく、すっきりと伸びた姿勢の良さが印象的だ。鐔広の帽子(カツ)を目深に被っているため、容貌までは定かではない。薄藍のパジチョゴリはまるで冬の透明な空をそのまま閉じ込めたようだ。
 仕立ての良い絹製の衣服から、どう見ても上流両班の子息だと知れる。
 一体、名家のお坊ちゃんがこんな町の観相師に何の用なのだろう。朝廷の高官を父に持つ御曹司なら、お抱えの専属占い師がいそうなものなのに。
 それとも、まだ若そうだから、親にも知れたくない秘密の恋の悩みとかを占って欲しいのだろうか。いずれにせよ、明華は恋愛相談にはあまり向いていない。自身がまだ色事の触りも知らない奥手なのに、他人の恋路の相談に乗れるはずもないのだ。
「若さま、悪いことは言いませんから、他を当たった方が良いですよ」
 この寒いのに、他人の恋路の話を延々と聞かれされることを考えただけでゾッとする。明華が投げやりに言うのに、男が小さく首を振った。
「手間は取らせない。少しで良いのだ、私の観相をしてくれないだろうか」
 明華は溜息をつき、一旦はしまいこんだ水晶玉を取り出し、机に載せた。もちろん、観相だから、水晶玉なんて必要ない。これはあくまでも、?それらしく?見せる演出の小道具である。
「承知しました。ただ、若さまのお望みになる応えが出せるかどうかは判りませんよ」
 不承不承言い、机の前にどっかと座り込む。「それでは、お顔を拝見しましょう」
 男もまた机の前に端座する。彼が心もち帽子(カツ)を人差し指で持ち上げた。
 刹那、明華は息を呑んだ。白皙の美貌という言葉は、まさにこの男のために存在するのではないかとさえ思える。それほどの美男だった。