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~王を導く娘~観相師

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 皮肉げな物言いは、彼がこの?罪状?にまったく納得していないことを物語っている。
 ヨンが語った淑媛の人となりが真実だとすれば、分別のある女人がそのような罪を犯したとは思えない。
 明華は遠慮がちに言った。
「淑媛さまは、お妃さま同士の権力争いに巻き込まれたのでしょうか?」
「先代の後宮には淑媛さましかいなかった。その状況で、どうすれば女同士の権力争いが起こる?」
「そうでしたね」
 我ながら失言であったと臍をかむ。
「ー妃(ビ)だ」
 聞き取るのが難しいほど低められた声に、明華は首を傾けた。ヨンの双眸が薄い闇の中で光った。今度はやや声が明確になり、聞き取れた。
「大王大妃だ。大王大妃が淑媛さまを殺した」
 明華は耳を疑った。
「そんな、まさか」
 思わず呟けば、ヨンが冷えた声音で応じた。
「どうして嘘だと言える! そなたは何も知らないだろう」
「ー」
 まるで凪いだ春風のような彼の豹変ぶりに、明華は言葉もない。無実の罪を着せられ、処刑された淑媛の怨念がヨンに乗り移ったのではと思ってしまいそうだ。
「申し訳ありません。そのような意味では」
 初めてヨンが怖いと思った瞬間だった。漸く紡いだ声は僅かに震えていた。
 ヨンが重い息を吐く。
「いや、私の方こそ済まぬ。昔とは何の拘わりもないそなたに、つい声を荒げてしまった」
 ヨンは面目なさげに言い、眉を下げた。
「大王大妃の噂は聞いているか?」
 突然の問いに、明華は少し躊躇い正直に頷いた。
「私とは別の意味で、ろくな噂はないだろう」 嘘をつく必要もないので、また頷く。
 寛徳大王大妃、先王の母であり、先々代王の嫡子、ソジン世子の正妃であったひと。気性が激しく、権力欲の権化とも陰で呼ばれている野心家である。
 後宮では折々に、女官たちの配置換えがあるが、大王大妃殿には誰も行きたがらないというのは笑えない話である。何故なら、大王大妃の感情の起伏が激しく、少し機嫌を損じただけで烈しいヒステリーを起こすからだ。
 辞職させられるならまだ良いが、下手をすれば死ぬまで鞭打たれるとも聞く。
 淑媛が何か大王大妃の気に障るようなことをしてしまったから、殺されたのか? 思いつくような理由はそのくらいだ。
 ヨンの秀麗な面に、自虐的な笑みが浮かぶ。
「大王大妃にとっては自分以外の人間は、すべて駒にすぎない」
「駒ー、何らかの目的を遂げるための手段ということですか?」
「まあ、そういうことだな」
 ヨンは面白くもなさそうに頷いた。
「大王大妃にとっては、自分の産んだ息子でさえ、己が権力を維持するための道具にしかすぎなかったのだから」
 また、?まさか?と言いそうになり、明華は寸でのところで言葉を飲み込んだ。一体どうすれば、我が子を道具などと思えるのだろう。まだ子を産むどころか、人の妻となったことがない明華でさえ、俄には信じられない話である。
 明華の母チョンスンは、強い能力を持つ観相師であると共に、慈しみ深い母であった。まだ十五歳の明華だけれど、いつかは愛する男と出逢い、一人でも良いから子どもを産んで育ててみたいとは思う。
 それはやはり、女手一つで自分を育て上げてくれた母を知るからこそであった。
 明華は愕きと衝撃を隠せず言う。
「大王大妃さまの息子ということは、先王殿下ですね」
 ヨンは、これには眼だけで頷いた。
 いっそ声を低め、ヨンが囁く。
「先代が滅多に表に出てこなかった理由を知っているか?」
 いいえ、と、か細い声で明華も応える。あまりにも不穏すぎる話で、この話の先を知りたいような、知りたくもないような気がする。
 ヨンが三日前、?宮殿には鬼が住む?と言った理由が今更ながらに理解できた。そして、多分、彼が言いたい?鬼?というのは大王大妃その人なのだ。
 成祖が政から遠ざかっていたのは、生来虚弱で病がちだからと言われているが、わざわざヨンが訊いてくるからには恐らくもっと別の事情が潜んでいるのだろう。
 その裏事情とは、一体、何なのか。
 ヨンが低めた声のまま続けた。
「先王についても、いまだに色々な噂が流れているな。何しろ、宮殿の深くに閉じこもって人を近づけない方だったから、生きている頃から様々な憶測が語られていた。マ、そんな他愛ないものは別として、真実に一番近いのは、先王が母親の言うなりにならなかったからだといわれている」
 拍子抜けした。一体、どのような母と息子の事情があったのかと身構えていたからだ。けれど、ヨンは難しい表情で腕を組んだ。
「酷いところでは、母親が息子に一服盛って殺したとも噂されているぞ」
「ーっ、まさか」
 とうとう口から零れてしまった。けれど、今度はヨンも気色ばみはしなかった。むしろ、静かな諦めの色が彼の美しい顔を縁取っていた。
「そなたが生い立った環境では、母が子を殺すなどは所詮無縁だろう。さりながら、私がこれまで見てきた世界では、残念ながら、あまり特別なことではない」
 ヨンは溜息をつき、続けた。
「何となく理解できないか? 幼い頃は従順で、母親の言うなりになっていた息子。それがある日、突如として母親の思い通りにならなくなる。大王大妃は権力欲の塊のような女だ。とはいえ、女人の身では、せいぜいが息子を操り人形にして背後で権力をふるうしかない。大王大妃にとって息子は傀儡でしかなく、自らが権力をふるうための手段だった」
 明華は震えながら言った。
「それで、大王大妃さまは先王さまを殺したというの?」
 たったそれだけで。母が自らの腹を痛めて産んだ子をいとも簡単に殺せるものなのか?
 ヨンが哀しげに首を振った。
「考えてごらん。大王大妃にとっては息子でさえ、権力を握り続けるための駒でしかなかった。だとすれば、息子の嫁なんぞ、所詮は眼の前を飛び回る蠅のようなものにすぎなかったろう」
 しばらく沈黙が室を満たした。ヨンが深い息を吐きながら言った。
「私が知るのは、ここまでだ。恐らくは淑媛さまは大王大妃との何らかの確執があったのだろう。淑媛さまは穏やかで優しい方ではあったが、凜とした一面もあった。大王大妃の取り巻きのように、自らをねじ曲げてまで大王大妃の機嫌を取るような器用さは持っていない。その辺りが大王大妃の逆鱗に触れたか。もしくは、息子が母親より寵姫の言葉に耳を傾けるようになり、淑媛さまが邪魔になったのかしれない。或いは」
 ヨンが明華を静謐な瞳で見つめた。
「何か知ってはならない秘密を知ってしまったか」
「ー」
 最早、明華は声がなかった。何という怖ろしくも、おぞましい話ではないか。実の母が息子を殺し、また息子の嫁までをも死に追いやるとは。
 大王大妃にとってはヨンの言う通り、自分以外の者は所詮、駒にすぎないのだろう。知れば知るほど、王宮に巣喰う闇はあまりにも深い。
 ヨンの哀しい未来もまた、王宮の闇に彼が取り込まれることで起きるものなのかもしれない。果たして、自分がそのような根深い闇を払拭できるのか? 明華には情けないことに、欠片ほどの自信もなかった。
 あまりの話に、明華は知らず震えていたようだ。いつしかヨンが側に来ていたのも気づかなかった。