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~王を導く娘~観相師

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 ヨンが大股で近づいてくる。明華は蒼い上衣に濃紺のチマ、襷掛けの白い前掛け(エプロン)というムスリの制服姿でヨンに頭を下げた。
「誰かと思えば、明華か!」
 ヨンは当たり前だが、龍袍を纏っている。王衣姿の彼を見たのは、実はこれが初めてだ。下位の者は貴人の顔を直視してはならないとされている。しかし、まともにヨンの麗しい顔が眼に入り、明華は白い頬が上気するのを自覚した。
 まずい、心臓が煩い。両班の貴公子のなりをしているときも美男だったけれど、王衣姿の彼はもうこれは反則だと思うくらい格好良い。
 ヨンは眉尻を下げた。
「誰か可愛い女の子が手を振って誘っているから、据え膳食わねば男の恥と駆けつけてきたんだが」
 明華はムッとして腰に両手を当て踏ん張った。
「相変わらず調子の良いことをおしゃっているんですね、殿下」
 皮肉を込めて言うと、ヨンはますます困ったような表情になった。
「何だか随分と機嫌が悪いな」
「当たり前でしょう。どれだけ待たされたと思ってるんですか」
 到底、国王に対する物言いではないが、明華本人は自覚できていない。
「別に私が待っていてくれと頼んだわけではないんだけど」
「うっ」
 至極当然のことを言われ、明華は黙り込む。
消え入るような声音で言った。
「あなたに逢うには、私の方から訪ねるしかなかったんです」
「それは嬉しいな。明華がわざわざ私を宮殿まで訪ねてきてくれるなんて」
「あなたが来ないからですよ」
 去年、彼に最後に逢ってから、ひと月どころかふた月になろうとしている。明華が入宮してからでさえ、半月近く経っているのだ。
 去年の十二月の初め、彼と家の前で別れてから、それでも明華は毎日、目抜き通りの四つ辻で待ち続けた。ヨンが何事もなかったように訪ねてきてくれるのではないかと、どこかで期待していたのだ。
 ヨンは肩をすくめた。
「そなたの方がはっきりと私に言ったはずだ。迷惑だから、もう来ないでくれと」
「迷惑とまでは言っていません」
 今更なことを言い、明華は肩を落とした。判っている。自分から来ないで欲しいと彼を拒絶しておきながら、来るのを待っていたなんて虫が良すぎる話だ。
「ごめんなさい」
 まずは素直に謝った。
 ヨンが心もち首を傾ける。
「強気なそなたが神妙だと薄気味悪いな。さては何か魂胆がありそうだな」
 と、また鋭いところを突かれ、明華は狼狽えた。
「まっ、まさか。魂胆なんて」
 ヨンがニヤリと笑う。
「それでは、私に逢いたくて来たんだな。可愛げのないことを言っておきながら、本当は私が忘れられなくて恋しくなったんだろう」
 明華は顔を真っ赤にして叫んだ。
「冗談でしょう。そんなこと、絶対にありません。ええ、たとえ天地が逆さまになっても、あり得ませんから」
 ヨンが軽く口笛を吹く。
「語るに落ちるだな」
「あっ」
 明華は蒼褪めた。見事に誘導尋問にかかってしまった。これでは、何か魂胆があって彼に近づいたと自ら宣言したも同然ではないか。
 ヨンが頬を緩めた。
「まったく、明華はどこにいても変わらない、やっぱり明華だな」
「え?」
 思わず顔を上げた明華に、ヨンが優しいまなざしを向けた。
「仮にも都一と評判の観相師ならば、もっと駆け引きも上手くならないと駄目だ。もっとも、他人を容易く信じる純粋なところも、明華の良いところなんだけどね」
 彼の手がごく自然に伸ばされ、明華の艶やかな漆黒の髪を撫でた。長い髪は後ろで一つに編んで丸めている。
「綺麗な髪だな。手触りも極上だ」
 呟く彼の手を思い切り、振り払ってしまった。
「気安く触らないで」
 ヨンは呆気に取られた顔である。それもそのはずで、国王たる彼が一女官に触れたとしても当たり前のことだ。下級とはいえムスリも女官ではあるのだから、国王の所有に帰するものであり、王に望まれれば否応なく身体を差し出さなければならない。
「ご、ごめんなさい」
 明華は咄嗟にそこまで考えたわけではなかったが、相手がこの国の王だという認識は流石に持っている。ムスリが国王に対して取って良い態度ではなかろう。
 うつむく明華に、ヨンが穏やかな声音で話しかけた。
「気にするな。それに、その畏まった態度はどうにも不自然だから、止めてくれ。そなたに殿下と呼ばれただけで、何だか背中がむずがゆくなりそうだ」
「何ですって」
 いきり立とうとして、明華はまたうなだれた。
「はい、さようにございます」
 ヨンの笑い声が冬のしじまに弾けた。
「だから、その珍妙な言葉遣いは止めろって。私はただのイ・ヨン。観相師崔明華の客の一人にすぎない。二人だけのときは、それで良い」
 明華は、おずおずとヨンを見上げた。
「本当に?」
「男に二言はない」
 自信たっぷりの言葉に、つい朋輩から聞いた例の妓生にした?側室にしてやる?宣言を思い出してしまう。
「嘘ばっかり」
 つい想いが呟きとなって落ち、ヨンが眼をまたたかせた。
「え、何だって」
 明華はわずかに視線を彷徨わせ、後は思い切ったようにひと息に言った。
「私、知っていますから」
 今度はヨンが眼を剥く番である。
「一体、何の話だ?」
 明華は知らず両手でチマをギュッと握りしめた。
「芙蓉閣での宴で殿下が妓生になさった約束です」
 そっぽを向いたまま一気にまくし立てたものの、やはり頬が熱くなった。
「宴なら、今し方も芙蓉閣で開いていたばかりだが」
 ヨンが思案顔になった。
「宴に出席したいのなら、今のままでは無理だ。望むなら、側室として位階を与えよう」
 何だか話が間違った方向に行きかけ、明華は慌てて手のひらをブンブンと振る。
「冗談は止めて下さい。私は側室になんてなりませんし、殿下の後宮に入るつもりもありません!」
 ヨンが露骨に傷ついた表情になる。
「何だかなあ、そこまではっきりと言われると、こちらとしては傷つくな」
 根が素直な明華は更に狼狽える。
「ごめんなさい、殿下を傷つけるつもりはありませんでした。でも」
「でも?」
 先を促されるように言われ、明華は続けた。
「私は貧しくとも良いから、良人は妻だけを、妻は良人だけを互いに敬愛し合うような関係が良いのです」
「そう、か。一夫一婦は清きなりだな」
 ヨンの声はどこか虚ろに響いた。
 明華が取りなすように言った。
「国王(サンガンマーマ)さまは別ですよ。私たち庶民とは違います。たくさんの奥さまを持って、お世継ぎを儲けるのもお仕事ですよね」
 ヨンが力なく笑った。
「虫も殺さない可愛い顔をして、言ってくれるね。どう? 明華が私の息子を産んでくれない?」
 明華は大きく首を振った。
「だから、私は後宮に興味はありませんってば」
 ヨンがふと思いついたように言った。
「そなたは観相によって、未来を読めると聞いた。どうかな、私に将来、息子は授かるだろうか?」
 明華は困ったように眉を下げた。
「私が見通せるのは未来といっても、全体像でしかありません。判りやすく言うなら、鳥が大空から地上を俯瞰するようなものです。大ざっぱな未来を予測することはできますけど、いつ頃、御子が誕生するかまでは判らないのです」
 ヨンが思案げに頷いた。
「なるほど、鳥が天空から眺める風景か」