~王を導く娘~観相師
宴席に侍るのは何とお気に入りの愛妾たちだけではなく、妓生たちまで呼び、飲めや歌えや踊れやの乱痴気騒ぎを日がな繰り返している有様だ。
側室たちは皆、曲がりなりにも両班の娘たちであり、妓生たちは庶民上がりの者が多い。宴席に侍らせるなら、どちらかだけにすれば良いものを、女好きの王は愛妾と妓生が王を挟んで互いににらみ合いをするのをかえって歓んで眺めているとかいないとか。
その歪んだ性癖が廷臣たちの間でも真しやかに語られ、良識ある官吏たちは皆、一様に薄汚いものでも触れたような顔つきでひそひそと囁き交わすのだった。
こんな耳を覆いたくなるような話もある。ある日、上座の王の両隣に控えるのは、それぞれ右側が妓生、左側が側室であった。
王は右の妓生にばかり話しかけ、やに下がった顔で肩を抱く。その中、無視され続けた側室がついに堪忍袋の緒を切らせ、立ち上がった。
ー賤しい女風情が側室気取りで殿下にまとわりつくでない!
王を無視して、いきなり妓生の頬を張った。ー何ですって。名ばかりの側室の癖して。私だって殿下にお願いすれば、今日にでも側室になれるんだから。
妓生も負けじと怒鳴り散らし、側室の頬を張り返す。
ーねぇ、殿下。あたしも側室にして下さるわよね?
甘い声でねだれば、王は緩みきった顔で幾度も頷いた。
ーおお、緑月であれば、すぐに側室にしてやっても良い。
ー聞いたでしょ。今日からあたしも承恩尚宮よ。
得意顔でまくしたてる妓生に蔑むような眼をくれ、側室はつんと顎をそらした。
ーこのような場所、もう我慢がなりません。お先に失礼致します、殿下。
残された数人の側室たちは、互いにおずおずと視線を交わした。席を立ったのは側室の中でも最高位の張貴人である。年長者でもあり、王が世子時代から仕えた最古参の側室でもある彼女には、若い側室たちは皆、頭が上がらないのが実状である。
本音は彼女らも賤しい女たちと同列に扱われるのは我慢ならないといったところだ。だが、肝心の国王の機嫌を損じ、寵を失う方がもっと怖い。なので、彼女たちは諦めきった表情で、いつまで続くか知れぬこの馬鹿げた宴に残らざるを得ない。
一方、国王からその場で側室に召し上げると言質を取った妓生は、もう得意満面である。ー殿下ァ。
と、鼻にかかる耳障りな声を上げ、ますます王にしなだれかかった。王もまた調子に乗り、妓生の華やかなチマを思い切り捲り上げ、その中に隠れるという醜態をさらした。
ーさあ、かくれんぼだ。朕がどこに隠れたか見事当てた者は全員、側室にしてやろう。
馬鹿げた約束をしたものだから、堪らない。
その場にいた妓生たちは皆、立ち上がり、キャーキャーと黄色い歓声を上げながら緑月のチマに隠れた王を何とか引きずり出そうと必死であった。
あまりといえばあまりのことに、側室たちは呆れたように肩をすくめ、世も末だと王には聞こえないように小声で囁き交わしたのだった。
折しも騒動のただ中、内官長が議政府からの火急の用件を王に伝えにきた。
芙蓉閣のどこにも王の姿が見えず、老いた内官は焦った。
ー殿下はどこにおわされる?
呆れた顔の側室の一人に小声で問うたところ、彼女が
ー妓生のチマの中におられます。
と応え、流石の内官長も絶句した。何代もの王の御世に渡って仕えたけれど、いまだかつて妓生のチマの中に入った国王を見たことはなかった。
愕然としている内官長の眼前に、折良く王がチマから這い出てきた。
ー何用だ、尚膳。無粋なことをするものではない。人が折角愉しんでいるというに。
王の冠は取れかかり、龍袍の襟元はだらしなく緩んでいて、到底威厳もあったものではない。
ー何という暗君。もう、世も末だ。
職歴も長い内官長は、燕海君にというより、朝鮮王に対しては揺るぎない忠誠心を持っていた。が、流石に、王のこの体たらくを見て、無比の忠誠心も崩れてしまった瞬間だった。
結局、側室にしてやるという王の約束は、実現されなかった。というのも、この後、泥酔した王がひっくり返って寝てしまったからである。
屈強な内官たちによって、王は直ちに輿に載せられ大殿の寝所に運ばれた。
それから眠り続けることおよそ数時間、めざめた王の側には、妓生の中でもとりわけお気に入りの緑月がいたがー。
ー朕はそのような約束は憶えておらぬ。
王は、あっさりと約束を反故にしてしまった。果たして王が本当に約束を忘れていたのかどうか。正体を失うほど酔っていたゆえ、側室にすると言ったことさえ憶えていないこともあり得るが、?憶えていない?と告げた空惚けた様子では、わざと忘れたふりをしている可能性もあった。
が、国王の言葉は絶対である。側室にしてやると言われ、そのまま大殿に付き添った妓生は、すぐに追い出された。
燕海君には、似たような噂が事欠かなかった。こんな状態が続けば、評判が落ちるのは当然だ。廷臣たちの中には廃位を唱える者も少なくはない。
明華がムスリとして入宮したのは、年明けの下旬であった。数日後から、彼女は燕海君についての情報を集め始めた。あまり派手に動き回ると悪目立ちするため、仲間内で集まって仕事をしている時、眠れぬ夜更けに枕を並べて交わす雑談の合間に、それとなく相手に質問を振り、情報を引き出していった。
そうして得た情報はいずれも王の暗君ぶりを肯定するものばかりだったのである。
その日、明華は、とある殿舎と殿舎の物陰に身を潜めていた。燕海君には十数人の側室がいるが、歴代王の中で特に数が多いわけではなかった。はるかに歴史を遡れば、三十人以上の妾妃を持っていた王もいる。
そのため、後宮の中でも空いた殿舎は幾つかある。明華が隠れていたのは、そんな無人の建物と建物の間であった。
この場所は芙蓉閣にゆくには必ず通る道だーとは、これも朋輩のムスリ仲間から仕入れた情報であった。
どれだけ待ったことか。本当なら、今頃、明華は提調尚宮の暮らす殿舎の厠掃除に駆り出されているはずなのだ。なのに、サボってーもとい抜け出して来たのである。元々はほんの少しだけ抜けるつもりが、予想外に待ったため、既に?サボった?ことになってしまった。
ー一体、どれだけ妓生に鼻の下を伸ばしてるのよ。
怒りに駆られていたところ、漸く王を先頭とする一団が遠目に見えた。大勢の内官や女官を従え、行列は非常にゆっくりと近づいてくる。もどかしいほどのろのろと動く。大集団だから仕方ないかもしれないけれど、厠掃除をサボッたことがバレたら下手をすれば鞭打ちを喰らう明華の立場にもなって欲しい。
燕海君は先頭に立ち、両手を後ろ手で組み、ゆっくりと歩いてくる。明華は建物の陰からそっと顔を出し、大きく手を振った。
恐らく、この距離では王のお付きの者たちには見えていないはずだ。
王はいっかな気づいてくれない。明華は更に身を乗り出し、何度も手を振る。やっとヨンが気づいたようである。
彼が背後を振り返り、何か言っているのは判った。まさに鶴の一声と言うべきか、背後に控えていた大集団はそのまま回れ右をして消えた。どうやら大殿に戻る道順は、他にもあるようだ。
作品名:~王を導く娘~観相師 作家名:東 めぐみ