第四話 くらしの中で
その4
子供が大学に入学するまでの数年間は私は子供の行く先々に寄り添い懸命に努力したつもりだった。だが子供には私の苦労がわかるはずもなく、亦夫も子供が期待以上の大学に合格したとき、自分の舵取りが巧かったからだと誇らしげに言ったものだ。
子供が東京の六大学を受験し合格したとき私を労ってくれたのは母だった。
お前がいたからあの子は今の状態に立ち直れたと言われたときは、親というものは黙って見守りながらも娘の私に愛情を持ってくれていることをひしひしと感じた。
高校に入学していた長女も三年生になると、私が傍にいないので食事はおろか勉強もほとんどしなかったと思うが、同じく六大学の一つに入学した。
卒業後はいくつかの職場を転職し、現在は単身で暴動禍のミャンマーに独りで赴任し、税務の会社の支社を設立した。
ミャンマーへ行った当初は机一つと自分一人で始めたと言った。そのころあまり連絡をしてこなかったので娘がそれほどの苦労をしたとは知らなかったが、後にそのことを聞いて娘なりに頑張ったんだと胸が傷んだ。
我家の動乱ともいえる状況の中を潜り抜けて大人になった二人の子供達は、今は力強く独りで何でもできる子として、いや立派な大人となって頑張っている。
私は子をうまく育てる母性に欠け、肝っ玉もない人間だったので、彼女らが成人するまで辛い道を歩かせたことを申し訳なく思っている。
作品名:第四話 くらしの中で 作家名:笹峰霧子