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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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六人の住人【完結】

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18話「愛情」






皆さんに報告がある。一昨日のカウンセリングで、時子の一番大きな問題は、解決の兆しを見た。

今回の話は台詞がとても多くなるので、少し長くなる。



「今日は五樹さんなんですね」

「ええ。この子が…カウンセリングが怖いと言うので」

余談ではあるが、俺はほとんど時子の名前を呼ばない。

苗字で呼ぶのもおかしいし、名前で呼ばれる事は時子にとって辛い事だ。

時子が母親に怒鳴られる時、必ず大声で名前を叫ばれて呼び出された日々を、俺も記憶として持っている。だから、「この子」と言う事の方が圧倒的に多い。



時子がカウンセリングで起きていれば、カウンセラーは体に触れるタッチセラピーを行いながら話をして、話の進み具合で触れる場所を変えたりする。

ただ、どうやら俺である時には、言語化するカウンセリングを行うようで、その日は俺とカウンセラーがずっと喋っていた。

話の流れで、この子が母親をどう捉えていたかなどについても話した。

「この子は、「自分よりも母の方が傷が深く、病も深い」と思っていました」

「ええ。そうなんですね」

「はい…僕も記憶として持っていますが、この子の母は、人間社会で普通に皆が承諾する感情を理解する事が出来ないので…苛烈ないじめや、職場での孤独、それから、両親からも疎まれたりと…そんな日々を送っていた事を、いつも時子に話して聞かせていて…」

「そうなんですか…」

カウンセラーはその日、何かを盛んにノートに書き留めていた。俺はそれが済んだ頃合でまた口を開く。

「時子は、自分が母から愛されない事について、「だったらもう嫌い」とか、すぐに恨むとか、そういう事はしたくなくて、「どうしてお母さんはこんな風に言うんだろう?」と考えて、理解する事で近づこうと努力していました…」

俺は、敵意や悪意をぶつけられながらも、母親の言葉から少しでも理解をしようと必死に頭を働かせていたこの子の辛さを、思い出していた。

「それで、わずか13歳の頃には、「お母さんは何らかの精神障害があって、おそらくこの世を私達とは違う見方で見ていたから、それによって周りと上手くいかず、果ては子供を愛せない人格になってしまったんだ」とまで、見抜いていました。それは、母親の主治医も同意しています。時子の母は、人格障害だったようですから」

カウンセラーはその話を聞いて、うんうんと頷いていた。

「でも、離れてしまった今でも、この子は母親を嫌ったり恨んだりする事が出来ず、つまり、自分を否定した母親を肯定しているから、それはそのまま、自分を否定する事に繋げてしまっているように思うんです」

俺は、これが一番話したい事だった。するとカウンセラーはそれに興味を示してちょっと椅子から身を乗り出し、こう言った。

「そういう時にぴったりの考え方があります。アドラーによる、「課題の分離」というものです」

「おお、アドラー心理学ですか。課題の分離って?」

俺も少しリクライニングチェアから背中を持ち上げ、カウンセラーの話を聞こうとした。

するとカウンセラーは近くにあった棚からマトリョーシカを取り出して、一番外側の大きなマトリョーシカと、その中から出した小さなマトリョーシカを並べた。そして間に線を引くように、エアコンのリモコンを置く。

「つまりはこういう事です。これが時子さん」

そう言って小さなマトリョーシカを指さす。

「それで、こっちがお母さん」

大きなマトリョーシカを、俺は一瞬苦々しい思いで見つめた。

「時子さんは、お母さんを愛している。それから、愛されたい。これは動物としてとても自然な感情です。当然の事なんです。でも、お母さんが持った問題は、時子さんより遥かに大きいかもしれない。だから、時子さんを愛せなかった」

「はい」

カウンセラーは交互にマトリョーシカを指さしながら話す。

「そこで、使われている主語によって、これらを分離します。「お母さん」は時子さんを愛せない。「時子さん」はお母さんを愛したい。そして、それぞれの気持ちに、“Welcome Hello”と言います。「そうなんですね」と、それぞれを認めてあげます」

俺は少し恐怖した。

“自分が愛されない事”を時子が認めたがるとは思えない。

彼女の一番の希望は、「母から愛された」という事を記憶として持つ事で、もしくは、今から母親が泣きながら謝ってきて、これからは何事もなく親子関係が良好なまま続く事なのだ。

「…もし、その二つを認めたくないとしたら、どうすればいいんですか」

「その気持ちにも、「そうなんですね」と言ってあげるんです。全部に、“Welcome Hello”です。」

「そうですか…」


その後俺達は色々な話をしたが、「世代間連鎖」の話などもした。


「つまりは、時子さんのおばあちゃんも、何らかの傷があったんですね」

「ええ。おばあちゃんについては原因に思い当たる事はありませんが、この子のおばあちゃんは、自分の印象ばかりで相手を見る所があって、つまり心証の良くない相手にはあまり優しくないんです。それから、とにかくこの子の母親は兄弟が多かったので、あまり祖母から構われてないと思います」

「そうですか。ではここで、「世代間連鎖」が起きていますね」

「世代間連鎖?」

するとカウンセラーは、大きなマトリョーシカの方から、もう一つ中身を取り出して、今度はそれを祖母に見立てた。

「おばあちゃんは、お母さんに愛情を注ぐ時間がなかった。つまり、根底でお母さんには「愛された」という実感がなかった。それでお母さんが時子さんを愛するのは、とても難しいですよね?」

「そうですね…でも、だからって「死んじまえ」とか言っていいって事にはなりませんけど」

俺はそんな事を思い出しながら話をしていた。

「そんな事言ってたんですか?時子さんのお母さん」

「ええ。毎日」

「そうですか…」

カウンセラーはそこでノートにペンを走らせていた。そして一息つくと、こう話し出す。

「私達は、色んな要素を何代にも渡って遺伝子により受け取ります。環境によっても変わります。でも、どうやら時子さんのところで「世代間連鎖」が断ち切られた。「愛そう」とした訳ですから」

「ええ」

「それは、時子さんのお父さんか、母方のもっと前の方からか、それか、はるか昔の祖先から受け取ったかもしれない、「愛情深さ」です」

「え?」

俺はこの話にまだついていけていなかった。急に遺伝子の話が始まったからだ。

「つまり時子さんは、お母さんから酷い事をされていたのに、お母さんに対して理解と愛で立ち向かった。そして、まだ愛している」

「本当にそれでいいんでしょうか」

俺は不安だった。自分を攻撃してきた相手を愛するなんて、よほどの聖人しかしない事だ。

「そうですね、でも、マザーテレサさんとか、キリストみたいな人を思い出してみれば、彼らなら愛するでしょう」

マザーテレサ。この子が最も尊敬する人間の名前が出てきたので、俺は少し嬉しくなった。

「マザーテレサは、この子がとても尊敬する人ですね」

するとカウンセラーも笑顔になった。
作品名:六人の住人【完結】 作家名:桐生甘太郎