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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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六人の住人【完結】

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18話「闘い」






ほとんど間隔の無い更新で失礼する、五樹だ。

俺はどうやら少し目測を誤っていたようだ。



この子は、カウンセリングが長引いている事に不服で、落ち込んでいるのだとばかり思っていた。でも、そうじゃなかった。



カウンセリングは、とても上手く作用していたようだ。その証拠の、落ち込みだったらしい。

それと、時子の叔母が電話で、「精神疾患では気持ちの波があって、今は下に向いているんだと思う」と話していたように、それも関わっているかもしれない。



昨日、時子は大きな包丁で腕を切った。俺は止められなかった。でも、止める事が必要とも感じなかった。

自傷行為はもちろん体に危害を加える物だが、この子が前に興味深い表現をしていた。

「心の傷を、体に移すの。そうすると楽になる」

俺は自傷行為なんて痛そうで怖くて出来ないから、これは経験者に聞いてみるしかないが、この考え方は案外支持される気がしている。

傷は8本。さして深くもないので、圧迫止血ですぐに血も止められた。


16歳の時に時子が図った自殺行為は、ゆうに35本を超えた傷が腕に刻まれ、最後の1つが動脈に達して、時子はその場に倒れ込んだ。


あの時は、迫り来る母親の恐怖が、まだ日常にあった。でも今は、母親とは絶縁状態にあり、自分を理解してくれて手助けをしてくれる夫が傍についている。天と地ほどの状況の差だ。


腕にはまだ、生々しい傷跡が赤く浮き、俺はそれをガーゼと包帯で覆う。


俺は方向を見誤っていた。急に時子が悲観し始めたとばかり思っていた。

でも、前と見比べてみれば、彼女の心情は、「痛みや苦しみから逃れるために、早く死にたい」の一念から離れた訳でもないし、これ以上更に深くまでは落ち込んでいけない。

では、なぜ彼女は急に俺にばかり対応をさせるようになって、目が覚めた時には泣きじゃくってまた目を閉じるだけになったのか。あまつさえ、昨日目覚めた時に腕を切ったのか。


おそらく時子は、周りに訴えかけ始めたのだ。「こんな物耐えられない」と、詰め寄り始めたのだ。

よく、それをやる勇気を出してくれたと思う。

今まで彼女は、フラッシュバックが起きていなければ、泣いたりなどしなかった。

“苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい”

それに支配されながら、夫に笑い、友人に励ましを投げかけ、誰にでも冗談を言った。

俺はそれを、やめて欲しいと思っていた一人だ。



もう笑わなくていい。彼女にもそれがだんだん分かってきたんじゃないだろうか。



夫はいつも自分を献身的に見つめてくれていて、何を言っても離れていきやしない。

でも、時子は多分、自分の悲しみに底がない事を知っていた。

本当なら底がない沼ではなく、血が吹き出し続ける傷口であり、それは何らかの動きで塞がなければいけない。

でもその前に、傷口がある事を誰も知らなければ、何をしようもない。しかし彼女は、今度はそれを教えてくれるらしい。



今までずっとひた隠しにしてきた彼女の苦悩が、どれほど莫大な物かは分からない。ただ、膿など全部出せばいい。誰を呪ってもおかしくなかったくらいなんだから。



俺は一瞬の安心と、これから来る「終わらないぐずり」の日々に向け、先ほど夕食を摂った。

明日はカウンセリングだ。順調に進んでいる。


ここまでお読み頂きありがとう。俺がいつまで居るかは分からないけど、この小説は必ずハッピーエンドにしてみせるよ。




作品名:六人の住人【完結】 作家名:桐生甘太郎