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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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六人の住人【完結】

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11話「可能性」






大変なことになった。今回もまた、喋るのは俺、「五樹」だ。



今日、時子は自殺を決意し、行動に移す寸前で、なんとか俺が交代した。俺が自殺を止める前に、7歳の人格、「悠」も出てきたが、奴には何も出来ない。

俺に代わった時、この子の心臓は死を決意した恐怖にまだ震えていた。16歳の頃、自殺を図ったあの晩と全く同じだ。

この子が16歳の頃に選んだ自殺の方法は、オーバードーズと大量の深い傷でやったリストカットだった。それは1本だけ、動脈まで達した。

よく運び込まれた病院から、生きて帰れたと思う。この子の父親は、「もしかしたら腕が動かないままかもしれません」と、念書にサインをさせられていた。

布団にじっとりと血が染み込み、畳まで真っ赤にしたこの子は、大量の輸血と、長時間の手術でなんとか命を取りとめた。

ICUで目を開けたこの子は、心の中でこう言った。

“失敗したんだ”

そして、この子が喉の渇きと空腹を訴えると、優しい看護師がジュースとパンをくれた。

16歳だったこの子は、家出はしたがまだ母親につきまとわれていて、電話で暴言をぶつけられ続ける日々だった。

“どこへ行っても、お母さんからは逃げられない”

自殺の動機はそれだった。今回もそれに近いが、少し違う。


時子は今、母親とは完全に絶縁状態にある。ただ、この子の中からは、母親から刷り込まれた誤った自己評価が消えていない。

そして、この子はまだ、母親との関係を諦められていない。だからこそ、母親から植え付けられた自罰の言葉を拭えないのだ。

毎日毎日、「お前なんか何の役にも立たないんだから、さっさと死んじまいな!」と言われ、「産むんじゃなかった」と吹き込まれ、「何をやってもお前はダメだね、そんなんじゃろくな大人になりやしないよ」と刷り込まれた。

ただ、もしこの子が母親との関係を維持するのをきっぱり諦め、母親に心から失望出来るなら、そんな罵言は心の中から消えて当然なのだ。


俺が表に出た時、そして自分の部屋に戻る前に、心の中でこの子の姿を見る時。時子は必ず地べたにうずくまって泣いている。

彼女は、「ママ、ママ、帰ってきて」と泣いている。7歳の時に離婚を選んで家を出て行った母親にすがりつきたかったのだろう。そしてそのまま、彼女の心は固着させられてしまったのだろう。


今回時子が死を決意する前に考えていたのは、こんなようなことだ。

「私が欲しかった世界って、こんなものだったっけ?大好きなお母さんに永遠に会えなくて、友だちも自殺したあとで、自分の心さえ壊れたような、こんな世界だったっけ?」

この子は、本当は周りから気遣われているのに、その人たちの言葉でさえ信じられない。

まるで母親から機嫌よく褒められた時のように、「見返りが必要なのでは」、「本当は私を叱りつけたいのに、我慢をしているんじゃないか」と感じている。

要はこの子にとっては、人間の人間像というのは、すべてあの虐待母親とさして変わらないのだ。


時子は、「お母さんとも居られない、友達ももう居ない、自分の頭もおかしくなって生きるのが辛いなら、もう死んでしまおう」と考えた。

ただ、これは途中で道を間違えている。本当なら、「あんなお母さんの事は忘れて、友達のことも受け容れて、私は幸せになるんだ」と決断して欲しかった。

ただ、この子がまだ母親を愛していて、友人の死を忘れないために俺を捨てた限りでは、その決断は出来ない。だから俺が慌てて交代した。



俺たち別人格は、それぞれに相反する主張を強く持っている。

「死にたい」
「楽しく生きたい」
「母親の元に帰りたい」
「母親を強く恨んでいる」
「世の中すべてに怒りを感じている」
「人生を肯定的に捉えていきたい」…

それら矛盾する主張があまりに大きくなりすぎたため、一人の人格の中に落とし込む事が困難になってしまったから、俺たちはそれぞれに自我を持つ事となった。

ただ、元は些細な矛盾だったなら、もう一度そこに戻るまで、それぞれの主張を噛み砕いて納得させればいい。

多分一番説得が難しいのは「悠」だろう。

奴はまだ7歳で、大人の話を理解する事も難しく、また、一番実現困難な、「母親の元に帰りたい」を主張として持つ人格だ。

ただ、希望はある。充分可能だ。俺はそう見ている。



作品名:六人の住人【完結】 作家名:桐生甘太郎