メイドロボットターカス
第73話 ヘラの決断
「あの…誘拐された時にすごく怖くて…それでわたくし、頭の中がそれでいっぱいで…」
そこは広めのカウンセリングルームだった。日光を遮りきらない白いカーテンが渡されて、目の前にはヘラよりはだいぶ年嵩で優しそうな女性のカウンセラーが、ゆったりとソファに座っている。ヘラは意識して背中を縮めようとしていた。
翌日ヘラはマリセルが決めたカウンセラーと会うことになっていて、ヘラもそれは嫌がっていなかった。しかし頭痛のために薬を飲みたがるので、それはマリセルは止めてベッドで休むよう言いつけた。
ダメよ…横になったってなんにもなりやしない。ピアノでも弾けたらどんなに気が楽かしら…でも今は何もできないわ。そうよ、わたくしは何もできないのだわ。だってこんなに頭が痛んで、あとからあとから何かが襲い来るんですもの。夕食を食べるのが憂鬱だわ…明日のカウンセラーが魔法使いだって、「こりゃ難解だ」とおっしゃるでしょうね…
ベッドで自問自答を続けてヘラは夜中の3時ころやっと眠った。
「ようこそお越し下さいました、フォーミュリアさん。来てくれてありがとうございます」
カウンセラーが女性だったことで、ヘラは少し安心した。挨拶のあとに生育歴を答えようとした時、カウンセラーはこう言う。
「フォーミュリアさん、ではまず深呼吸をしましょうか。辛いなら、背もたれに身をあずけるだけでも。できそうですか?」
ヘラは首を微かに横に振る。
「そうですか。ごめんなさい、そんなに辛いのにここまで来てくださって。とってもうれしいです」
するとヘラは、目の前のカウンセラーに同情し、彼女が本当に自分に深く共感していて自分の辛さをわかってくれていると理解できた。ヘラの口からこんな言葉が出てくる。
「思い出せないの…」
カウンセラーは大きく驚いたが、声は出さずに片手で口を押え、その後悲しそうな顔をした。
「思い出せない。それが辛いんですね。それって、悲しいこと?それとも、嬉しいことだった?」
「ううん、わからないの…」
「そっかあ…思い出したら、怖いですか?」
「え、ええ、たぶん…」
しかしこの時、すでにヘラは記憶の洪水を受け止めるのに精一杯だった。カウンセラーが自分の言うことを無条件に受け入れるだろうと彼女が感じた途端、それは電撃のように彼女の体を支配し、そして次々と湧きあがり始めたのだ。
ターカス。
ああ!いつも優しいターカスの顔よ!声よ!わたくしは、わたくしはまだ覚えているわ!忘れてなんかいなかったわ!なんて…なんて嬉しいのかしら!
でもヘラは、次の瞬間失意に叩き落される。
でも、ターカスは…もう居ないわ…あら?そういえば…
ミミ。
あれは…どう考えたっておかしい出来事だったわ。夕食会でわたくしにミミそっくりのくまのぬいぐるみを差し出した、ゴルチエ男爵…彼は一体何者なの?屋敷に詳しいようだったし…
ヘラがその時考え始めたことは、ターカスについての悲しみから目を逸らすためだったかもしれないけど、大いに不安で興味深いことだった。
「フォーミュリアさん?何か考えてるの?」
カウンセラーが控えめにこちらを覗き込む。
そうだ。何か言わなきゃ、解決したんだと思われなきゃまたここに来なくちゃいけないわ!ヘラはそう気づいて、咄嗟に嘘の話を作り上げた。優しいカウンセラーにそれをするのは少し気が咎めた。
「誘拐された時…」
そう言ってヘラは誘拐犯の顔を思い出し、自分がされたことは思い出せないけどもう自宅で安心できそうで、頼れる人もいると話した。
「そう…そうだったの…」
「ええ。今日はありがとうございました。やっと自分に立ち返ることができました」
できるだけはっきりとヘラはそう口にしたけど、カウンセラーを欺くなんて14歳の少女にできるはずがない。
「ねえ、フォーミュリアさん。たとえ元気になったとしてもね、元気になるのってすごく疲れちゃうの。だから、悩み事って一気に解決すると、ふにゃ~ってぐったりしちゃうのよ」
「え、ええ…」
「だから、あなたはもう少しゆっくりの方がいいと思うな、私はね」
「はい…」
次の予約はなんとか断れたしカウンセラーもそれで納得してくれたけど、渋々といったようだった。そしてヘラはこう決断した。
彼はわたくしの大切な思い出よ。いいえ、大切な人なの。もう消させたりしない。だから黙っていなきゃ。
作品名:メイドロボットターカス 作家名:桐生甘太郎