鈴蟲
街道の両脇の藪からは鈴虫の声が、昼間とは違ってより一層強く聞こえていた。そして――。
いつの間にか牛の引き綱を操る遠雷の背中の方から、一際大きな鳴き声が聞こえて来た。
振り返ると荷車に載せた老人の骸に数匹の鈴虫が留まっているのが見えた。
恐怖にかられた遠雷は視線を逸らす事が出来なかった。鈴虫は道端から幾匹づつも老人の骸を目掛けてどんどんと飛び乗って来ていた。
と、突然牛が走り出した。見ると牛の背中に、尻に、首に、鈴虫が喰いついている。
遠雷の首筋にも鋭い痛みが走る。思わず手で叩き潰した。首に蟲の硬い皮の感触を感じ、手にはぬるりとした何かの感触が残った。
気がつくと老人の骸は既に黒い塊となっていた。人の形をした黒い山の表面でさざなみが起こる。その動きと同期するような歓喜の音はうねりと成って街道に響いた。
そしてそれに誘われたのか、荷車の周りの地面はわさわさと動く異形のものに覆い尽くされていた。
遠雷は恐ろしさと戦いながらも老人の骸に脚を伸ばして蹴り落とした。牛は最早遠雷の言う事など聞かず、狂ったように駈けている。残っていた西瓜も一つを残して落ちてしまった。
しかし、すると、どうであろうか、牛や遠雷に纏《まと》わりついていた鈴虫さえも、落ちた骸を追って飛び降りてゆくではないか。
暫らく後、すっかり日が暮れた街中の街道で、脚を引き摺りながら宿を探す遠雷の姿があった。
狂った様に駈ける牛は街まで二里と言ったあたりでついに力尽き倒れた。口から泡を吹き、後ろ足が細かく痙攣していたが、この辺りでは既に鈴虫の姿は現われる事は無かった。
遠雷はもう襲われはしないだろうと思いながらも走り続けて街の中に転がり込んだ。
その怪しい風体から二軒ほどで断わられた後、ようやく泊まれそうな宿があった。
あまり高級そうな宿ではなかったが、気には成らなかった。金が無くて野宿する事さえ珍しくは無いのだ。
小女《こおんな》に案内されて二階の部屋についた。一階は食堂兼酒場の様になっていて、普通の二階よりも階段を余計に上らなければならなかった。部屋は奇麗とは言い難く広くも無いが、ちゃんとした寝台も在った。しかし、遠雷には満足に思うゆとりも、けちをつけて宿代を値切る気力も残されてはいなかった。
「おい、食事は出来るか」出て行こうとする小女を遠雷は呼び止めた。