鈴蟲
「おい、起きなせぇ。乾涸びて死ぬか、それとも鈴虫に食い殺されるか、どちらにしたって此処じゃあとても成仏なんてできやせん」
何度か肩を揺すられて遠雷は目を覚ました。やはり、かなりの数の鈴虫が近くの枯れた藪の中から、そして遠雷の足下で鳴いていた。
「ほら早く立ちなせぇ」男は手を引いて遠雷を立たせると、荷車の中から真っ黒に艶やかな西瓜を一つ取り出して藪の近くへ放り投げた。
西瓜は弾けて赤い果汁を飛び散らせた。その臭いに刺激されたのか、藪の中から夥《おびただ》しい数の鈴虫が湧いて出た。そして、わさわさと割れた西瓜に群がって、その黒い翅《はね》を立ち上げて歓喜の合唱を始めた。
老人は立たせた遠雷を荷車へ突き倒すと牛に軽くムチを当てて急ぎ足でその場を離れた。
「危なかったのぉ。じゃがもう大丈夫じゃ。奴らは西瓜に夢中じゃ。あんたもどうじゃ、あんな所に寝ておったのでは喉も渇いたじゃろ。碌に喰ってもおらん様じゃし……」
「有り難い」遠雷は荷車の中の手頃な西瓜を割って顔を突っ込んだ。しゃぶしゃぶと下品な音を立てて西瓜を齧《かじ》り、啜《すす》る。赤い果汁が遠雷の顎から滴り、粗末な服の胸に黒い染みが広がって行った。
「ところで爺さん、鈴虫に食い殺されるってどういう事だ」西瓜に顔を埋めたまま遠雷は老人に尋ねた。
「知らんのか。そうよの。で、なければあんな所で眠れる訳も無い。
あれはの、ここいらだけに棲む人食い鈴虫じゃ」
「まさか――」遠雷は怪訝《けげん》そうな顔をする。
「嘘なんぞつくものか。あんたは土地の者ではないようだから知らんらしいが、ここいらの乾季はそりゃあ酷いもんでの、今年なんぞはまだましな方じゃて。
だからかの、あいつらはこの時期になると見境なく何でも喰いよるんじゃ」
老人は痩せた牛の鼻輪に結んだ綱を曳きながらぼそぼそと語った。
「ここいらの鈴虫は他所のよりも一回りも二回りもでかいらしいんじゃ。儂等《わしら》は小せぇ時分からあれしか見たこた無いでの、普通じゃと思っとったが、いつだったかあんたの様な他所もんが言うとったよ」
「そういえばあの鳴き声も普通のとは少し違うような気がする」
「そうじゃろ。これは旅の人から聞いたんじゃが、普通のはもう少し高い声で鳴くんじゃそうな」
言われてみれば遠雷もそう思わないではなかった。