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短編集93(過去作品)

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バラード



                バラード


 大切なことを忘れてしまっていると、思い出すのが怖くなる時が往々にしてある。それが自分にとっていいことなのか悪いことなのかでも違ってくるが、いいことであったなら、忘れていた期間が長ければ長いほど、
――昔に戻りたい――
 という気持ちが強いはずだ。
 田代雄大も今まさに同じ気持ちになっている。それもきっかけを与えてくれる人がいなければずっと思い出さないままだったに違いない。
――きっかけ――
 それも自分の中にあったはずだ。そうでなければいくら与えてくれたとは言え、長い間記憶の奥に封印していた思いを解き放つことはできなかっただろう。
 目の前にいる女性、彼女はまさしく自分の気持ちを正直にしてくれる、そんな存在なのだ。

 ファーストフードの店に寄るようになったのは最近になってのことだった。学生時代などあまり好きではなく、カウンターに群がっているたくさんの人がいるのを見ると、どうしても立ち寄ろうという気にならなかった。特に多いのが女性の団体、見ているだけでうるさそうでウンザリしてしまう。
 今年三十七歳になる雄大は、高校時代に最初にファーストフードの店に立ち寄って以来、
――何が楽しいんだ――
 と感じたものだ。大学時代になってアルバイトするようになって、朝食をファーストフーズで済ますことがあった時、朝の客層には最初驚いた。
 禁煙席と喫煙席がハッキリと分断されていなかった頃なので、店内にはタバコの煙が充満していた。驚いたことに、フロアーにいるほとんどが女性ではないか。それも皆タバコを吸っている。
――朝の一服目的なんだ――
 と感じた。本来なら雄大もファーストフードよりも普通の喫茶店の方がいい。確かに喫茶店の方が少し高くつくが、雰囲気はまったく違う。喫煙目的の女性もいるだろうが、喫茶店の雰囲気が、そんなことはお構いなしと感じさせてくれるほど雄大にとって新鮮である。
 喫茶店が静かな雰囲気であるのに対し、ファーストフードの店は暗いのだ。
 大学時代によく立ち寄った喫茶店には静かな雰囲気の中、アルバイトの女の子の献身さが明るさを振りまいていた。献身さの中には常連さんの気持ちを和ませてくれようと、自分から話しかけてくれることがあったくらいで、モーニングサービスという言葉の響きとともに、喫茶店の朝をリッチな気分にさせてくれた。
 社会人になると、通勤途中にある喫茶店に寄るようになるが、朝はクラシックが奏でられ、洋風のモーニングセットに花を添えてくれていた。馴染みになるとマスターが思ったより気さくな人なので、仕事以外の話に花を咲かせることのできる一日のうちでも最高の時間であった。
 雄大が、高校の頃から付き合っていた弥生と結婚したのはちょうどその頃だった。付き合い始めたのは大学に入ってからだったが、もし高校卒業の時に弥生から、
「付き合ってください」
 と言われなければ、そのまま付き合うこともなくまったく違った人生を歩んでいたかも知れない。
 弥生という女は一口に言って大らかな性格である。あまり人を疑うことのない女性で、交際中も結婚してからも雄大に逆らうことはなかった。助言をしてくれることはあったが、それも稀で、すべてが雄大の意見で決まっていた。
 責任重大だという意識もあったが、甘えがなかったとも言いがたい。どちらかというと甘えが強かったかも知れない。付き合っている時の気持ちそのままで結婚したという気がするくらいで、交際の延長に結婚という儀式があったというだけだ。
 だが、それでも家庭の主だという意識はあるもので、仕事をしていても無意識な責任感が芽生えていたことは否定できない。もちろんいい意味には変わりない。だが、結婚してしまうと思ったより平凡な人生を歩んでいるような気持ちになっていたことも事実である。
「平凡な人生を歩むことが一番難しいんだよ」
 飲み会での同僚が皆に話していた。彼は就職して一年もしないうちに結婚した。確か就職した時には彼女はいないと言っていたはずなので、雄大から見れば、
――思い切ったものだ――
 と思えてならない。雄大は入社一年目というと、弥生に会う暇もないほど仕事を覚えるのに必死になっていた。それなのにその間に女性と愛を育んで、結婚まで考えられるのだから、すごいものである。性格の違いだと一口に片付けていいものだろうか。
 女性の性格にもよるのだろう。
 弥生の場合は決して結婚を焦ったりしなかった。黙って雄大の気持ちに従うだけで、
――人を疑うなどということは、この女性に限ってはないんじゃないか――
 と感じるほどだった。
 もっとも結婚を迫ってくるような女性だったら、これほど長く交際を続け、結婚に至ったかどうか分からない。性格的にはピッタリだったのだろう。
 しかし、雄大には引っかかるところがあった。最初はたいしたことではないと思っていたことだが、結婚を意識するようになって、自分の中で疑問が大きくなっていった。
 不思議なことに何が雄大の気持ちにわだかまっているのか、本人にも分からなかった。遮るものなど何もない状態で、お互いの気持ちもまんざらでもない。まわりから見ればお似合いのカップルである。
「お前たちが一番最初に結婚するだろうな」
 と大学時代の友人からは言われていた。
 雄大は自分の彼女を隠したりする方ではない。むしろ皆に公開したい方だった。優越感に浸りたいという思いが強かったのは否めないが、それだけではなかっただろう。弥生もまんざらでもないらしく、雄大にどんな知り合いがいるのか興味があるようだった。
 いつも自分ばかりが楽しんでいるように思えたので、
「大丈夫かい? 退屈していないかい?」
 と聞いたことがあったが、
「あなたがお友達と話している姿を横から見ているのも楽しいものよ」
 と言われて救われた気がした。楽しいといわれれば雄大の気も大きくなって、さらに会話に花が弾む。それを笑顔で見守ってもらっているというのは男にとって冥利に尽きるというものだ。
 表ではあまり話をしない弥生だったが、二人きりになると堰を切ったように話し始める。内容はくだらないことが多いが、それは雄大が最初の頃にしていたような話である。
 付き合い始めた頃の雄大は、
――会話を途切れさせてはいけない――
 という思いからくだらない話も随分としたものだ。それを笑顔で聞いていた弥生だったが、彼女もまんざらくだらない話が嫌いではないのだろう。そのうちに彼女から話に合わせるようになり、お互いにどちらからともなくいつも話の花を咲かせていた。
 大人しい顔をしている弥生がこれほど喋り好きだとは誰にも想像つかないだろう。かくいう雄大が一番驚いている。そういう雄大も学生時代までは自分が中心でなければ気がすまないような性格だったが、
――自分はトップなど似合わない――
 と思うようになってからは、なるべく目立たないようにしていた。
 次第に友達と一緒にいることもなくなっていった。弥生との時間だけを大切にしたいという気持ちだけではない。その他大勢というのが嫌なのだ。
作品名:短編集93(過去作品) 作家名:森本晃次