火曜日の幻想譚 Ⅲ
262.コンパス
コンパスが好きだ。
方位磁石のほうではない、円を描くほうのコンパス。まず言葉の響きがいい。コンと来てパス。多分ほとんどの人は分からないと思うが、どうか感じてほしい。コンと来てパスという響きが心地いいのだ。
それだけではない。ちゃんとひかれた理由もある。恐らく小学校の低学年で出会う文房具だと思うが、この頃に出くわすものとしては破格の危険なアイテムだ。なにせ、針がついている。多分、この針という直接的に危険なものを自分の所有物にするのは、このコンパスが最初ではないかと思われるのだ。少なくとも、私はそれにひかれた。初めて手に入れた、けがをするかもしれないアウトロー (ここまで言うと大げさか)な物品に心を躍らせたのだ。
だが、意外にその出番は少ない。円弧を描くこと以外の機能はないし、それも画びょうとひもがあれば代用できる。案外見かけ倒しなのだ。しかし、そういうところもなぜか私にとっては好もしかった。円を描くということを方便にして、何やら武器を手に入れたかのような、そんな後ろめたい気持ちが快かったのだ。
まあ、そんなことを言っても当時の私にできるのは、せいぜい学校の机に穴を開けるくらいのことだった。自分の指や隣の子をつっついたりするような大それた度胸もなく、ぎらぎらした針を見ながら怖いなぁと思うのが関の山だったのだ。
大人になった今でも、コンパスは好きだし、一目置いていることは確かだ。だが、もう私は、包丁やチェーンソーといった立派に武器と呼べそうなものも扱える。そして、紙や黒板に円を描く機会は皆無と言っていい。子供の頃のあの格好良さのまま、今、身近でなくなってしまったからこそ、一目置いたままでいられるのだろう、そんな気がする。
ところで、ここまで長々と書いてきたが、おとなになった私が美脚の異性にすぐ見とれてしまう理由は、このコンパスとは無関係だ。確かに極まれに例えられることはあるようだが、この件については全く関係がないことを最後に記しておこうと思う。