火曜日の幻想譚 Ⅲ
354.凍蝶
寒い冬。用事からの帰り道に、一匹の蝶を見かけた。
蝶は寒風に羽をはためかせ、ふらふらと危なっかしく飛んだかと思うと、頻繁に着地を繰り返している。どうやら相当寒さにやられているようだ。かわいそうだなと思った僕は、そっと手の中に入れて捕まえてやる。もう家はすぐだし、一夜の宿くらい提供してやってもいいだろう、そう考えたからだった。
家に帰り着き、蝶を解き放つ。すると、本棚の角にそっと身を降ろしてつかまった。僕はそれを見届けたあと、暖房をつけてやる。自然の法則に反するのはあまり良くないが、一夜ぐらい生きながらえさせてやるのも悪くはないだろう。
その後、しばらく家で調べ物をしていて、蝶のことなどすっかり忘れてしまっていた。あれ、そういえば、と思って視線をさまよわせると、蝶は最初に止まった本棚の角から全く動いていなかった。
「…………」
僕は憤りを覚えていた。別に見返りを求めて起こした行動ではない。だとしても、少しぐらい部屋をひらひらと舞って、楽しませてくれてもばちは当たらないだろう。だが、そんなことを蝶に求めるのも何だか浅ましいし、調べ物がまだ途中だったので、僕はディスプレイに視線を戻して作業に戻る。
数時間後。調べ物もまとまり、時間に余裕ができたが、蝶は相変わらず本棚の角を専有したままだ。一度たりとも飛び立っていない。またふつふつと怒りがこみ上げてきた僕は、蝶を再び手の中に戻して、玄関へと向かう。
「そんなに嫌なら、また寒空に戻んな」
肩で玄関を開け、両手を解き放つと、蝶はふらふらと飛び立った。だがその力は弱く、目の前にぽとりと落ちる。そこからまた再び飛び立つものの、目の前の段差に止まるのがやっとだ。
僕は何の気なしにそれを見ていたが、次の瞬間、この昆虫が部屋の中でかたくなに飛ばなかった理由が分かった気がした。蝶は、蝶なりの譲れないプライドがあったんだ。寒い冬場にあまり動けない。だが、それを見てかわいそうだと思うのは僕のエゴでしかないことを、部屋の中で羽ばたかないことで伝えたかったのではないだろうか。
そう考えているうちに、冬の蝶はたどたどしい飛行で近くの草むらへと向かっていく。だが、その動きにもう弱さなどは全く感じなかった。一夜だけの暖かさはいらない、この寒い冬をなんとしても生き抜いてやるんだ、そんな決意がみなぎっているような気がした。