火曜日の幻想譚 Ⅲ
292.狂いかぶと
11月の、少し暖かい小春日和。
近所の公園を散歩していたら、ブランコに一匹のオスのかぶと虫が止まっていた。
「こんな季節に、珍しいな」
この時期、季節外れの草木が咲くことがあって、それを狂い咲きなんて言うらしいが、これはさしずめ「狂いかぶと」とでも言うのだろうか。
その「狂いかぶと」のあまりの語呂の悪さと、ネーミングセンスのなさに失笑した僕は、八つ当たりついでにそのかぶと虫を左手で捕まえた。彼は6本の足をワキワキと動かし、自由を得ようとするがもう遅い。
「たまたま見つけた人間に、センスがなかったことを恨むんだな。もう少しうまい名前をつけられたなら、機嫌よく逃してやったのに」
そう小声で彼に言い渡し、ブランコに座り込む。いい年をしたおじさんが片手でブランコの鎖をつかみ、もう片方でかぶと虫を持っている。何か、この狂いかぶとの狂気にあてられて、僕も20年ほど時間を狂わせてしまったようだった。
周囲の子どもたちや親子連れ、御老体は、そんな僕を見て見ぬ振りをして、なるべく近寄らないようにしているのが目に見えて分かった。
「……お互い、狂ってると生きづらいよな」
左手に収まっている狂いかぶとは、僕の言葉に返事をするかのように、再びワキワキと動く。そんな彼を左手に、僕はゆったりとブランコをこいだ。
「……でも」
ひとしきりこいだブランコの上で、僕は再び彼に問いかける。
「狂ったやつにしか見えねえ景色ってのが、あるんだよなぁ」
多分、君のこれからは前途多難だろう。エサにありつけるかどうかわからない。配偶者がいるかどうかわからない。それどころか、すぐに寒い冬がやってくる。それでも君が見る景色は、君だけのための景色だ。まともに夏を生きた君の同僚には、見られなかった景色。それをしっかりと目に焼き付けて、精一杯生き抜いてほしい。同じようなはぐれものの、大変身勝手なお願いだけれども。
こぎ出したブランコは、少しずつ加速していく。
「さ、そろそろいきな」
僕はブランコから、勢いよく彼を手放した。
僕の手から解き放たれた狂いかぶとは、小春日和の青い空に吸い込まれるように、どこまでもどこまでも飛んでいった。