火曜日の幻想譚 Ⅲ
302.神様への思い
神様は大変だと思う。
なぜって、恐らくだけど年がら年中人間のお願いを聞いているはずだ。年始はもちろんのこと、厄払いだとか願掛けだとかで、神様へのお願いが途絶えることはなかなかないだろう。しかもその大半は個人的かつ身勝手な願い。たまに全体のことを考えたものがあっても、世界の平和とかぼんやりしたものばかり。恐らくだが、願いを聞くに値するな、と思ったものはほとんどないのではと思われる。
それだけではない。最近は神様も人前に露出することを余儀なくされている。最近は主にゲームや漫画などで、神様がよく出てくるのだ。ギリシャ、北欧、エジプト、アステカ……、しかもそれだけではない、戦う。神同士だったり、時に人間とだったり。そして戦うとなればこけんに関わる。人間様の描く姿や物語によって、ばつの悪い思いをさせられている神も恐らくいることだろう。
結局のところ、神様はここ最近で一気にカジュアルになってしまったのだろう。願い事があれば、寺社へと赴き手を合わせるだけのインスタントさで、それをかなえてくれる(かなえてくれない場合もあるが)。その裏で、スマホやディスプレイの中に出現し、われわれを楽しませるために死闘を繰り広げるという、現代のグラディエーターとしての役割も担っているわけで。
このように考えてしまうと、もはや神様への同情を禁じ得ない。かつては偉大な力を持った神々が、今は人間の願望をかなえ、楽しませるために使役されているといっても過言ではないからだ。
……だが、こんなふうに神様に同情するのもそれこそ失礼というか、おこがましいのかもしれない。