火曜日の幻想譚 Ⅲ
305.しょうがの自尊心
牛丼屋でわびしく昼食をとっていたときのことだった。
やってきた牛丼に真っ紅な紅しょうがを乗せていく。テーブルに置いてある無料のやつだ。そいつをトングでつまんで、ちょいちょいと置いている最中、ふと思った。
(そういや、すし屋のガリ、あれもしょうがだな……)
あっちも無料で提供されているはずだ。回っていないすし屋では分からないが、僕が行くようなお店は大体無料で食べられる。だが、牛丼屋と回転ずし屋という二大外食店で無料提供されていることに対し、当のしょうが自身はどう思っているのだろうか。
軽く見られていると思って憤慨している? 自分は有料に値しない存在だと思って落ち込んでいる? 一瞬そう思ってしまうが、それはどこか自分を投影してしまっている気がする。後ろ向きな性格の自分だったらそう思ってしまうかもしれないが、しょうがさんはそんなことは思ってないのかもしれない。
そもそも、紅しょうがやガリが無料というのは幻想だ。安価ではあるが、恐らくサービス料にしっかり含まれているはず。ということは、彼らは安価であることで、われわれ消費者と生産者や提供者との架け橋を担うという役割を負っているのだろう。そして彼らは、そんな自分の役割に誇りを持っているのではないだろうか。いや、そうであってほしい。彼らは表向き無料であることに、矜持を持ってカウンターやテーブルに置かれている、そう思いたい。
だって、しょうがは体を温める効果がある。そんなしょうがが懐を暖めるのにも一役、買っているのだ。下らないしゃれだが、なんだかそれはすごく格好いい気がする。僕は牛丼の上の紅しょうがをちょっと箸で摘みとって口に入れ、その味を確認してから、牛丼をわしわしとかきこんだ。