火曜日の幻想譚 Ⅲ
307.バブみ
少し、困ったことになっている。
私たち3人は今、魔界からよみがえった悪の司教を打倒するために冒険をしていた。現在、司教の住処までもう少しというところまで迫ってきているのだが、ここに来て、ものすごい試練が訪れている。
「…………」
「…………」
僧侶である私は傍らの魔法使いと顔を見合わせた後、思わずため息を付いてしまう。モンスターの攻撃を受けた女勇者が、何とも言えない表情をしているのだ。
「…………」
私は複雑な表情で彼女に一歩寄り、何かを思い切るように魔法を唱え始めた。少々の時間の後、詠唱を終えると同時に、女勇者の表情はいつもの勇敢なそれに戻っていた。
「ありがとう。じゃあ、行こう」
歩き出す彼女の後ろを追いかける私と魔法使い。だが、私も彼もその顔つきはどうしても晴れない。
何らかの対象に対して、母性や甘えたいという感情を抱いてしまうこと。それが「バブみ」といわれることは私たちも知っていた。だが、このバブみというステータス異常、それを付与してくるモンスターがいるだなんて考えもつかなかった。
そのモンスターの攻撃を食らうと、女勇者はその瞬間から凄まじいほどの母性を醸し出してしまう。その凄まじさは、この場で冒険を止め、彼女に甘えながら一生を送りたいと感じてしまうほどだ。
普段の女勇者には、そのようなそぶりはみじんもない。どんな困難に遭遇しようとも、正義を執行することを諦めない、まさに勇者といっていい女性だ。
だが、そんな善の権化たる彼女が、攻撃を受けた途端に「母」になってしまうこと、それがここ最近、立て続けに起こっている。男性である私と魔法使いは、そのたびに頭によぎるものをどうにかねじ伏せ、彼女を正気に戻しているのだが……。
再び彼女がああなるのを見てみたいような、見たくないような……。でも、見てしまったら、今度は魔法で元に戻せるだろうか。戻すことができず、あのバブみの奇妙な誘惑に負けてしまうかもしれない。
私も、恐らく魔法使いの彼も、こんな角度で自分の信念が試されるとは思っても見なかっただろう。でも、どうにかやり遂げなければならない。波風が立ちっぱなしのざわついた心を抱えたまま、私と魔法使いは、女勇者の背中を追うしかなかった。