火曜日の幻想譚 Ⅲ
308.ジョギング
最近、彼はジョギングが始めた。これが楽しくてたまらない。
走っているとスッキリする。さらに無の境地に立てる。こんなにいいもんはない。毎日でも、いつまでも走れそうな気すらしてしまう。
そんなふうにして毎日汗を流していると、どうも一つだけ気になる点が出てきた。さきほど、無の境地に立てると言ったが、そうではない瞬間が時折やってくることに気付いたのだ。
ジョギングをしていると、同業者━━同じくジョギングをしている者、に出会うことがある。そんな時、彼はどうしても平静を保っていられない。抜かされまいと懸命になってしまったり、逆に相手を手練れと見たならば道を譲り、ついつい無意識にウエアを見て、機能性や値段で優劣をつけてしまう。
自分と他人を比べているようじゃ、まだまだ俗世間に凝り固まっている。彼はなるべく同業者に合わないように道を選び始めたが、今度は急に楽しくなくなってきた。全然、走った感じがしないのだ。
結局、煩悩にまみれた自分を慰めるだけの道具に過ぎなかったのか。そう悟って彼は走るのをやめた。