火曜日の幻想譚 Ⅲ
359.ティンダロス
猫と言えば、目が大きくて印象的な上に愛くるしいイメージがある。その一方で、犬のほうはどうだろうか。つぶらでかわいい目をしているイメージもあると言えばあるが、どちらかというと目よりも、嗅覚の鋭さに視点が集まりがちなのではないだろうか。
少し前に、家の近くの路地を歩いていた時の事。電信柱のすぐわきに、見慣れないダンボールが置かれていた。
「?」
不思議に思ってのぞき込む。しかし、そこにはタオルがたたまれてあるだけで、他には何もない。
「??」
思わず周囲を見回してみる。やっぱり何もいない。恐らくペットが捨てられていたんだと思うが、逃げ出してしまったのだろうか。そう思った瞬間、ダンボールの中で「何か」が動いた。
「???」
その「何か」は、二つ存在し、宙に浮いていて丸っこかった。「それ」を把握するのに時間がかかる。そして、把握してからもそれが現実だと理解するのに時間を要した。
目玉。そう、二つのクリクリとした目玉だけが宙に浮いてこちらを見つめていたのだ。
私はその「目玉」を持ち帰り、家族の一員として迎えてやることにした。取りあえず風呂に入れて洗うしぐさをしてやると、みるみるうちにお湯が汚れてゆく。えさも置いておくと次第に減ってゆく。地上から20センチほど上に浮いている二つの目は、時たまうれしそうにこちらを見上げてくる。
私はこの目玉にティンダロスという名前をつけてやることにした。とある神話に登場する肉体が別次元に存在する犬にちなんだものだ。
ティンダロスは、すぐわが家に溶け込んだ。目玉だけという奇妙な存在ではあるが、人懐っこかったし、頭も良かったし、(恐らく口がないせいで)ほえることもなかった。ただ唯一の難点は、目玉だけの存在故、思わず踏んづけそうになることぐらいだった。
そんなある日、ティンダロスを散歩に連れていった日の事だった。ティンダロスは、通りがかったある男性を視界に入れると、突然リードを引きちぎって自由の身になり、その男性に攻撃を仕掛けたのである。
襲われた男性は、あっという間に血まみれになり、病院に搬送された数時間後に息を引き取った。後に聞いた所によると、この男性は日頃、野良の犬猫をいじめ殺すのが好きで、特に目玉をくり抜くのを好んでいたらしい。そんなこともあって、近所の評判もあまり良くない人物だった。
もしかしたら、ティンダロスは、以前、彼に目をくり抜かれ、肉体を奪われた存在だったのかもしれない。きっと、嗅覚を失って目だけになっても、めげずに報復を成功させたのだろう。
ティンダロスは、逃げ出してしまっていまだに行方が分からない。だが、角度を利用して異次元に帰った、ということは多分ないだろうと思う。