火曜日の幻想譚 Ⅲ
360.指切り
『指切〜りげんま〜ん、うそついたら、はりせんぼん飲〜ます』
指切りの由来は、遊郭だと聞いたことがある。女性が男性を本気で思っていることの証として、指を切って渡すという風習がそれらしい。だが、実際に指を切り落とす女性は多くはなかったようで、作り物や代わりの指を用いるのが大半だったとか。
里子さまは、それはそれは心のお優しい方でございました。豪商の末娘で、お側に仕えるわたくしたちですら目を見張るほどお美しい方で、虫も殺せないぐらい慈悲深い方でした。
里子さまが16の歳のときでした。里子さまのご友人 (彼女もまた、商家の娘でした)が、遊郭に身を落とすことになってしまいました。その方のお父上のお商いの調子が思わしくなく、金銭と引き換えに、というお話とお伺いしております。
このお話を聞いた里子さまは、数日間ろくに食事もとらず、じっと物思いにふけっておりました。かと思うと、急に父のお商いの具合を、わたくしどもにお尋ねになられるのです。自分も同じ身の上になることを、ご案じになられたのでしょう。ですが、お父上の仕事はいたって順風満帆でした。それにお父上は元来、手堅く商いをされるお方です。万が一にも里子さまがそのような境遇に、身を落とされることはありません。わたくしどもがそのように言って聞かせると、里子さまは悲しそうに目を伏せておっしゃいました。
「私と彼女、同じ境遇でしたのに。……どうにかならぬものでしょうか」
この里子さまの思いやりに、わたくしは胸を打たれました。しかしこのとき、何やら危ういものを感じたのも事実だったのです。
しばらくして、件のご友人からお手紙が届きます。里子さまは大層喜び、笑顔でその手紙をながめておりました。しかし、読み終えると悲しそうな顔になり、また物思いにふけるようになってしまったのです。今になって思えば、この時点でわたくしどもは、手紙をあらためるべきだったのかもしれません。しかし、あのようなことをなさると思わなかった以上、手紙をあらためはしなかったのです。
その夜のこと。わたくしどもは皆、里子さまの悲痛な叫び声で目を覚ましました。あわてて駆けつけると、里子さまは真っ青な顔で紅にまみれており、その傍らには切り離れた指が5本。それにも飽き足らず、里子さまは既に指のない右手で、床に突き立てられた小刀を押し倒します。次の瞬間、左の5本の指も、鮮血をまといつつ離れていきました。
ご友人の手紙には、
「身請けしてくれそうな男性はいるが、心をつなぐには指切りが必要。でも、最近は作り物では効果はありません。そんな恨めしい境遇の女性が、ここには数え切れないほどいるのです」
このようなことを初め、遊女のつらい境遇がありありと書かれておりました。彼女らに同情した里子さまは、せめて代わりの指をと考えられたのでしょう。それで、意を決してあのような行動をされたのだと思います。
十本の指は、里子さまの強いご希望でご友人の元へと送られました。ですが、これ以降、ご友人からお手紙が届くことはありませんでした。それ故、里子さまの指によって幾人かの女性が救われたのか、それとも、ただただ塵芥のように投げ捨てられてしまったのか、それすらも分かりません。
その後、手指を失った里子さまは、他家へ片付くことなく、27の歳に病を得て世を去られました。ただ、雑談の折に遊郭へと話が及ぶと、友人の身を案じたのでしょうか、それとも自らのしたことを悔いたのでしょうか。決まって憂い顔になってらしたのが、とても印象に残っております。