火曜日の幻想譚 Ⅲ
243.「そいつ」
「そいつ」は、ある日突然家にいた。
誰かから譲り受けたわけでもなく、私自身で家に招いたわけでもない。だが、つかみ所のない異形な「そいつ」は、いつの間にか私の家に居着いていた。
「……あの、こんにちは」
きっかけが欲しかった私は、「そいつ」の前に座り、頭を下げてあいさつをした。だが、「そいつ」はムスッとした表情(?)でそこにいるだけ。こちらのあいさつに対して、何の反応も返すことはしなかった。まいったな、どうしよう。「そいつ」は、こちらの困惑は察知したのか、すまなそうに居住まいを正した。
始めはずっとそんな調子で、お互いギクシャクしたまま、時だけが過ぎていった。
それは、「そいつ」が来てから8日目の出来事だった。
朝起きた私は、炊飯器を見てびっくりする。昨晩、タイマーをセットし忘れて寝てしまったのだ。これでは朝食においしいご飯が食べられない。焼きシャケは、もうグリルでジュワジュワ音を立てている。私はご飯と焼いたシャケの朝食が、何よりも好きなのだ。ご飯とシャケが朝食に食べられないとなると、今日一日の私の士気に大きく関わってくる。まったくもって由々しき事態だ。私は絶望のあまり、がっくりと床に膝をつく。
その時だった。
私の元へ、ス〜ッと滑るように「そいつ」は近寄って来る。そして、私の側でピタリと止まると、パカンと頭部(?)を開けた。ほっかほかの炊きたてご飯がそこにあった。
この出来事以来、なぜかわからないが私と「そいつ」は、コミュニケーションが取れるようになった。私は彼(便宜上彼と呼ぶ)が、休息を必要としている時がわかるようになった。そしてそのような時、私はあえて放って置くよう努めた。
彼もまた私の欲求を常に把握し続けた。空腹時には先程のような炊きたてご飯を提供し、眠い時には枕に変わった。他にも、私が欲しいと思ったものは、彼が頭部(?)を開くと出現した。一度性欲を持て余した時、彼の胴体に意味深な空洞と、反対側にこれまた意味深な突起とが現れたが、さすがにそれは断ったら二度と現れなくなった。
だが、そんな私と彼との蜜月は、長く続くことはなかった。
彼は、別れが近い事を察していたのだろう。数日前から元気がなかった。そして当日の朝、最後のご飯を提供した時。なぜだろう、得も言われぬ感覚で私も、これが彼との最後の食事であることを悟った。
そして彼は、胴体から翼を出して(私は彼が翼を持っているのをこの時始めて知った)、空へ大きく羽ばたいていった。それっきり、二度と会う事はなかった。
ところで、彼は一体何だったんだろう……。