火曜日の幻想譚 Ⅲ
249.闇浴
「ちょっと、『あんよく』するわ」
夫はそう言って自室に入り、鍵をかけた。
私が、彼のこの奇妙な癖を知ったのはいつ頃だっただろう。確か付き合っているときに、これが元で大げんかをした記憶がある。
夫は、『あんよく』の実行を宣言して部屋に入ると、丸1日出てこない。食事もとらず、簡易トイレを使って、部屋の中で1人で過ごしている。その際、必ず電気を消してシャッターを完全に下ろしてしまう。必然的に部屋の中は、真の闇となる。このことから察するに『あんよく』というのは、闇を浴びるという漢字をあてるのだろう。
『あんよく』を終えた彼は、たいてい疲れ果てている。それも当然だろう。飲まず食わずでトイレにも行かない。しかも本人いわく寝ていないらしい。だが夫は、そこでさまざまな可能性を考えているらしく、その後の行動はハキハキとして潔い。
前の会社を辞めて、今の会社に転職するときもそうだった。車を買うときも随分悩んだが、『あんよく』の後はその迷いも吹っ切れた。どうやら、私と付き合うときや結婚するときも、闇の中で決めたらしい。
夫は、いつからこんなことをしているのだろう。一度だけ、聞いてみたことがある。
「僕の生まれた村でね、3歳になったときにやる風習が元なんだ」
と、彼は話してくれた。
彼の生まれた村では、子どもが3歳になると、みんな丸1日、闇の中に閉じ込められる。3歳といえば、『悪魔の3歳』と言われるぐらい、運動量が上がり、言葉も増えて口が達者になり、自己主張も増えて、お母さんの手を焼く年頃だ。そんなアクティブな子どもたちが、いきなり丸一日暗闇に閉じ込められるのだ。えらい大声で泣き喚くだろう。それでも、お母さんは助けに来てくれない。ちょっと想像もできないぐらいの怖さなんじゃないか。昔なら、反抗期の子どもにいうことを聞かせるちょっとした荒療治で済んだかもしれないが、今なら虐待のそしりを免れない。
だが、夫の場合はそんなことはなかったようだ。3歳児の彼は闇の中で泣き喚くこともせず、極めて落ち着いて24時間を過ごしたと言う。出てきてその事実に驚いた両親に、すまし顔でクリスマスにほしいおもちゃをねだったらしい。その時のことを、夫は鮮明に覚えていて、こんな言葉を残している。
「今でも覚えてるんだ。闇の中にいればいるほど、考えが研ぎ澄まされていくのを」
こうして彼は、何かに迷ったときは必ず闇を浴びるようになった。
今、私のおなかには、新しい命が宿っている。扉の向こうで闇を浴びている夫は、きっとこの子の名前を考えてくれているに違いない。
夫が闇の中で考えたのなら、きっと素晴らしい名前だろう。でも子どもが3歳になったら、暗闇に放り込むのだけは阻止しないとなあ。
私はうれしい反面、ため息をついて、彼のこもる部屋の扉を見つめた。