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火曜日の幻想譚 Ⅲ

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250.常駐先のカナリア



「♪〜」

 部長のスマホが慌ただしく鳴り響きました。取り立てて何かがあるわけではない平日の朝。出勤の時刻を5分ほど過ぎたときに、その着信は部長のスマホを震えさせたのです。

「もしもし。……はい、そうですか。安泰だと思ったのですが、念のため送っておいてよかったです。じゃあ、撤退の準備を始めてください。できるだけ若い方からお願いします」

 部長は報告を受けた後、電話の相手に指示を出して通話を切り、私のほうへと向き直って言いました。

「船木さん、また逃げたので探してください。私は社長に報告します」


 IT業界には『デスマーチ』という言葉があります。簡単に言えば、納期に間に合うめどが立っていなかったり、必要な人員が投入されなかったりといった理由で、プロジェクトが疲弊、混乱し、人員が厳しい作業、具体的には徹夜や休日出勤を強いられたりすることをいいます。
 このような状態をずっと続けていれば、作業の能率はどんどん下がっていきますし、何よりも心身が疲弊します。そこからうつ病などにかかったり、最後には自殺をしてしまう者も出かねないのです。
 以前から私たち人事部は、この『デスマーチ』に社員が巻き込まれることに悩んでいました。夢を持って入社してきた社員が、酷使されてその目の輝きを失っていくのを、見るに耐えない日々が続いていたのです。

 そんなとき、ある一人の青年が中途で面接を受けに来ました。船木 太と名乗ったその青年はおずおずと私たち人事の面接官に、職務経歴書を差し出します。
 その経歴書にはさまざまなプロジェクトが記載されていました。しかしそのどれもが、例の『デスマーチ』が起こったものでした。中にはセミナーで紹介される失敗例でよく挙げられるほど、有名なプロジェクトもあったのです。
 さぞかしタフな方なのだろう。ぜひそのポイントを聞いてみたい。履歴書を見た私はそう考え、彼に質問をします。しかし彼は口ごもったまま、何も言わないのです。
 しばらくの沈黙の後、彼はようやく重い口を開けました。そして観念したように一言。
「すみません。始まってすぐ、これらのプロジェクトから逃げ出してしまいました」
消え入りそうな小さい声で、私たちに言いました。

 部長は落胆していました。普通ならそうするかもしれません。しかし私はそのとき、彼のその『デスマーチ』に対する嗅覚は、わが社の武器になると考えたのです。

 こうして船木さんは、私たちの同僚になりました。今回で逃げ出すのはもう15度目です。私の見込みどおり、彼が逃げ出したプロジェクトは、全て火を吹いて悲惨な状況になりました。そのおかげで零細ソフトウエアハウスのわが社は、異例の従業員満足度を誇っています。

 ここ数年、退職をしたのは船木さんだけです。もっとも、彼だけはすぐ呼び戻して、再び雇用しますけどね。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅲ 作家名:六色塔