火曜日の幻想譚 Ⅲ
256.転向
あるところに、悪魔が一匹いました。
彼は一応悪魔なのですが、それほど力を持ってはいませんでした。私たち人間が耳にするような大悪魔には、実力で遠く及ばないのです。それゆえに悪魔界でも下っ端で、こき使われるような生活をずっと続けていました。
「はぁ。いつもこき使われてばっかりで、悪魔はつらいなぁ」
ため息をつきながら雑用をこなし、疲れ果てた体を引きずってしばしの休息を得る、まるでどこかの生き物のようですが、そんなことすら一向に気付かないのです。こうして彼は、その日その日の生活をどうにか送っていたのでした。
ある日のことです。彼に重大な使命が言い渡されました。天界に行き、神様に伝言を伝えてくるというのがその役目です。神と悪魔は、人間には内緒で、実は結構コミュニケーションを取っているのです。ある程度、持ちつ持たれつでやらないと、一気にハルマゲドンが起こってしまいます。今回、彼がお使いに立つことになったのも、そういったことが起こるのを、防ぐためのものだったのかもしれません。
彼は、恐る恐る天界に足を踏み入れます。こんな下っ端悪魔が、こんなところに来ていいのだろうか。だまされて殺されてしまわないかという懸念が、彼の心中を襲います。それでもどうにか、偉い神様の前に立ち、悪魔側の言葉を伝えます。
「そうですか。よく分かりました。遠路はるばるご苦労さまです。ゆっくり休んでください」
悪魔と同じぐらい怖い神様に労をねぎらわれ、一安心して帰途につこうとしたその時でした。
「そういえば、あなたは悪魔の中でもよく頑張っているようですね。うわさは耳にしていますよ」
「……いえ、うだつが上がらないだけで。お恥ずかしいありさまです」
神様は、彼のそのおごることのない態度を、たいそう気に入ったようでした。
「あなたのその奥ゆかしさや、決しておごることのないところ。あなたはむしろ、この天界のほうが向いているのではという気がします。……どうでしょう? この天界にとどまり、神として生きてみるというのは?」
「…………」
神様の唐突な申し出に彼は考えます。自分が神になる? こんなもったいないことが、あってよいのだろうか。それに、今まで悪行を積み重ねてきた自分が、いきなり神になどなれるはずがない。いぶかしむ彼に、神様は言い聞かせるように話をします。
「もちろん、悪魔のみなさんには私から話をしておきますから、あなたが恨まれるようなことはありません。それに、悪行三昧だったものが、神になった例ももちろんあります。あなたにとっても損な話ではないと思いますよ」
神々しい光を放ちながら話す神様にここまで言われたら、彼もおいそれと断ることはできませんでした。
神となった彼はその後、東洋の国のとある神社を任されることになりました。その神社は、転向者━━考え方を変えたものや、勇気を持った告発者、正義のために寝返った者などに、ご利益のある神社として有名です。
近年、航空関係や、電気やITに関するご利益のある神社が増えてきているのも、こういった新しく神様になった者たちが、存分に力を発揮しているのかもしれません。