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堕楽した快落

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こどく

孤独とは二種類ある。
一つは、誰とも話さず、誰とも話せず、周りには誰もおらず、寄せ付けず、独りであること。しかし、何をするにも自由で、成約もなく、面倒臭い柵も存在しない。孤独である一点を除き、完璧なのである。
そしてもう一つは、和気藹々とする中で、興味のない話を、あたかも己も興味があるかのようにふるまい、己の何かを擦り減り続けながらも、中毒のように必死に食らいついていくことである。何をするにも友達という契約に振り回され、不図、疲れを感じ独りになれば、その縁から解放されるが、孤独になることを恐れ、孤独の者を卑下し、己を鼓舞しながらも、孤独を密かに想うのである。そして、有る時を境に、己の愚行に後ろ髪をひかれ、悶絶し、なくした己を探す旅なんかに出掛けたりするのだ。それも、孤独。
よく、生きながら死んでいるなどという文を見かけたりするが、私は違う。私は生きている。孤独ながら、生きている。木があるように、土があるように。木を這う毛虫のように、羽を休めに枝に止まった鳥のように、鳥は毛虫を食い、毛虫は鳥に殺されるように、その中で生きている。生きているだけだ。動物のように、それぞれの動物社会のように、私もただ、起きて、ご飯を食べて、仕事して、飯食って、家へ帰って、飯を食って、寝る。本棚のように、本のように、ティッシュのように、ライオンのように、カマキリのように、人のように、あるだけ。存在しているだけであり、生きているだけであり、それに対して、哲学的な疑問を持つようなこともない限り、生物学的な意味を見出さない限り、私は、ただここにあるだけだ。宇宙の確率を見て、己の存在の有難さを、有難みとして感じられるほど、私は命に対して興味がない。己の命も、他の命も。
もし、物に寿命があるのなら、一つ煙草の寿命はせいぜい十分程で、服なら、素材にもよるが、大体五年から十年、余程貧乏でなければ三余年ほどの命。コンクリートなら、舗装を施さなければ、数十年程で、細胞は二年程で全て入れ替わって、家は五十年ほど持ち、その他のものも、それぞれに見合った長さ生きるのだろう。木は、長くて数千年程、それよりもっと生きるらしい。そして、ベニクラゲという種は、不老らしい。正確には若返るとかそんならしいが、私は、それらと比べて、心底人間で良かったと思う。どれほど長くても、百年ほど生きれば死ねるのだから。もしくは、事故や事件、病気でいつでも死ねるのであるから、木程、気の遠くなる程生きなくて良く、ベニクラゲ程、無駄に生きなくて良い。
孤独、蟲毒。己の中の、厭な虫と、良い虫が喰らい合う、孤独。
私自身も、人も、蟲毒を見て、ミトコンドリアと共に引き攣りあがる。しかし、虫は、害虫も益虫も、私たちが死肉を婀娜やかに飾りつけするように、そしてそれを二十本ほどの歯で噛み千切り、舌で甘味塩味酸味苦味旨味を感じるように、彼らも、彼女らも、その歯を以てして、逃げ惑わないよう足を引きちぎり、暴れないよう殺し、餌を奪われないよう他を殺し、他のエネルギー体を己の中へ取り込む。蟲毒であろうと、人間であろうと、華やかそうに見えるかそうでないか、人間からの視点で見ただけで、殺して、喰うのは、全く同じで、猿と人間の知能の差は明白であろうとも、その遺伝子情報の相対比は、塩一粒程の誤差でしかなく、それと同じように、動物も植物も、人間も、ある。生きている、のは人間だけで、生きていると自覚しているのは人間だけで、殺して食うだけで、数時間、数日かけて、ようやく殺して食うのだから、滑稽である。
動物は食らい合う。地球という壺に、重力という蓋で閉じ込められている。食物連鎖という蟲毒、社会という蟲毒、人間という蟲毒。
不図、友達に聞いた、なぜ人は生きるのか、という問いに対して、むしが湧いてしまった。特段期待はしていなかった。議題に対し、議論をすることに目的と目標があるのであって、少し高望みをしたかっただけだった。難しい話を、教室でして、見ていない、聞いてもいない同級生の耳に、私の印象を少しでも捻じ込みたかった。
本当は、そういう話が好きだった。そんなのどうでも良かった。初めて少し自分の興味のある話を出来て、出来そうで、心を開いてしまった。独りで話して、意見を聞いて、むしがいた。いや、私が、むしになった。
それなり、が私だった。私を表すアイデンティティは、それなり、だったと思う。学生時代、それなりにモテたし、勉強も運動も、それなり。中か、中の上。顔も、性格も、人気も、友達も、学校も、人生も、それなり。それなりに楽しかったし、満足していたし、一人の時間もあれば、友達とカラオケやボーリングをしたり、それなりの高校生が話す話をしたり、それなりにセックスもしたり、それなりの高校生活だった。ただ、剥がれかけた塗装を、何度も何度も上塗りし、乾いた塗装を潤った潤沢のローションで濡らしたり、濡らされたり、出たり入ったり、上下したり、前後左右斜め、燻ったり舐めたり、蒸らしたり、取り繕ったり、己の不具合を見せまいと必死だった。
隙を見せてしまったと、思った。付け入る隙を、群から弾き飛ばす理由を、作ってしまった。好奇心は猫を殺すと言うが、学校という蟲毒の中の、更に小さい蟲毒の中では、好奇心こそ毒であって、正常な細胞が突如として癌細胞になるように、好奇心という理性の隙間をぬって侵入してきた毒に、犯された。
皆が、敵視したような目で、怒られた。敵意を向けられたような、異物を見られるような、ゴキブリではない、不快感を持たず、殺意すら持たず殺せる虫のような、鬱陶そうに、煩わしそうに、憤怒とも言えぬ、意識の上におかれた先端が優しく施された茨をのせられたように、苛々していたのが分かった。
それより―――。
社会から、吐瀉された。拒絶のあまり、とても優しく、丁寧に。
しかし、概念のない無の世界に独り放り出されたとて、和気藹々とする三十九匹の中、認識されたとて存在しないのなら、認識できないところで存在していた方が、余程マシだと思えた。
作品名:堕楽した快落 作家名:茂野柿