堕楽した快落
循環的悪、敵
「なんで私を裏切るの」
それが母の口癖だった。
私が、何か一つでも母の気に入らないことをすれば、即座に私を悪と囃し立てた。テストの点数が母の期待値より低くて、宿題計画票を時間通り進めていなくて、歯磨きを済ませてから皿洗いしようとしていたのに、なぜ洗わないのかと発狂されたこともあった。
いや、違うよ、歯磨きを――そうやって言い訳して、いつもいつも私が皿洗う羽目になるのよ。
母は、私は、意見を言うペットだったと思う。若しくは、鵜。
私と母は顔が良かった。顔が良くて、母は若親だったのも相まって、親子共々よく人から外見を褒められていた。店子さんに、通りすがりのおばさんに、親戚やその他諸々、母子で人に関わると、大抵決まって、お母さんのおかげね、と言われる。母は鼻高々に、家に帰ると、それを私に言うのだ。お前の顔がいいのは私のおかげ、感謝することね。
私は父親似だった。鼻の高さも、輪郭も、話し方、癖までが父と似ていると言われていた。
何より、母が嫌いだった。
私から見て母はモラルのない人間だった。電車の中大声で話す、公共の機関でものを食べる、所構わず私の名前を叫ぶ、剰え、人のいる前で、つけこまれたくない、大事に匿っていたものまで悠然と露呈させる。人の目が気になる私からすれば、いや、私が人の目を気にするようになったのは、海外では普通だから、と日本にいるからにも関わらず、無駄に海外帰りぶった、浅はかな日本人に育てられたからなのだと思う。とにかく、恥ずかしかった。私が何かやって、それに対して怒られているという現実も、情けなくて、惨めで、なんで僕はこんな簡単な事も出来ないんだろうと思い、また、大人であるにも関わらず、公衆の面前で、盛った獣のように、貴方のためという盾を掲げて打擲し、喚き散らすみっともない人間が、私の母親であるということに。なにより、その血が私にも流れているということに、怒りに最も近い羞恥心、恨みにも似たもので、顔は火照った。拒絶でもあったかもしれない、嫌悪でもあったかもしれない、ともかく、きっと母には見えていない視線とやらは、父から譲り受けてしまったものだったのであろう。その視線が本物であったかどうかは大して重要ではなく、その視線があったとしてもなかったとしても、その視線を感じるということが重要なのであり、もしその視線を感じているのであれば、無意識に近い領域で視線を感じ、無意識的な意識で不図、若しくは無意識的にそうされたのかも知れない、振り返ると、必ず視線の方向に人があり、目が合うのだから、そして母にはそれが出来ないのだから、良くも悪くも父は特殊な人間で、母は、母もまた、別の意味で特殊な人間であった。
その視線が、ただ、部屋で、調教に近い、何時間も、這いずり回る蛇のように、くどくどと説明口調で説教を受けるよりも、よっぽど酷く屈辱的で、恥辱的だった。その視線の全てが、私に対する失敗への当てつけにも思え、冷静に、表現として胸が痛くなるとはこういう事かと思いながら、胸が成長痛に似た、鈍く重い、忌憚なく蛇に絞め付けられるような、決して耐えられない程の痛みではない痛みが、変わらなく私を痛めつけると言うのに、いつしかその慣れた痛みに耐えられなくなって、きっとそれは、私の精神が擦り減っている証拠なのではないかと、物理的に心臓が錆びていっているのではないかと思った。
母は、甘えだと言った。精神科に一度見てもらいたいと懇願するも、統合失調症だと判断される、お前は閉じ込められる、と言う。さすがに私も、それには震えた。余計に、怖かった。私がおかしいと認めてもらうことは、承認されると同時に、異常という烙印を押されるということであって、私は、辛い、ということだけを、誰かにすくいとって欲しくて、私は普段は真面目で、正常で、今だけ少し変なだけだと証明してほしくて、異常である可能性が生まれ、しかし、母は、私の息子なのだから、絶対異常じゃない、甘えているだけ、というのだから、私が不登校になったのも、私だけ学校で馴染めず、視線に怯えるのも、人の考えていることがそこはかとなく分かるのも、視界に霧がかっているのも、普通で、甘えているのだと思った。それは、母にとって、都合が悪かったのだと思う。
祖母の胸の、背中と腹の裏に感じた、私が生まれる前に出て行った祖父への哀愁が、愛が、孫を愛することで己を満たし、それが母もそういうものがあり、なんにでも干渉したがる毒親だった祖母への逃げ先、ストレスのサンドバッグ、いや、童子が人形を目一杯飾り付けて、それを幼い自分のトレース先として人に見せつけているような、無邪気だが歪んだ愛を感じていた。寂しさの、ストレスの、ピース。足りない何かを私で補っていた二人と暮らしていた。
私は、己を空の卵だと思った。ヒビすらなく、無垢な空。己の意志とはまた別に、その卵の本来の意味すら知らされず。母はそれを不憫に思ったのか、無理やり植えつけた。己も、また、空の卵を持ち合わせていたから、きっと、私にはどうか、私が弟の事を想うように、想っていたのだろう。
だがそれが何よりも間違いであることは、今の私を見てそう思ったのだろう。私が部屋に引き籠るようになってから、格別母は、脱皮したかの如く優しくなった。祖母も、無理強いをすることはなく、私にとってその優しさは、恰も二人が望んでいた形となったのではないかと訝しる程。酷い孤独の中、家族という蟲毒に閉じ込められた。