堕楽した快落
元々いがみ合っていなかった、そう考えると、私は文学人だと確信せざるを得ない。悔しいが、悪い気分ではない。しかし私の感動と心の躍動を綴ろうとするも、手が動かない。手に関わるあらゆる筋肉から骨から血液まで、私の不甲斐なさに憤慨しているのではないかと、こき使われる両手に対し申し訳なく、非常に後ろめたい気持ちになった。いや何も、感動に対し、「エモい」と言った言葉一つしか思い浮かばないわけではなく、むしろ溢れんばかりの想像力を逃がすまいと、必死で書き留めたい一心である。ただ、その魚群となす想像を捉えようにも、私の網では僅かしか捉えることが出来ず、その僅かに掠め取った想像も、懇切丁寧に捌き、文字に落とし込むことが出来ない。この感動を、私の身体と魂の躍動を、どれほどまで音楽を愛し、文学を愛そうとも、見返りを寄こさない。有り余るほどの愛を与えようと、彼ら愛と私の愛は摩擦を起こし、愛しすぎたが故互いに消耗していくのだ。
果たして、私は愛し方を間違えたのだろうか、この身に有り余るほどの感動を、そのまま赤子を抱くよりも優しく抱き抱えねばならないのだろうか。