堕楽した快落
幸福の不幸、不幸の幸福
私は文が書けなくなった。書いた文は、ただの文字の羅列に成り下がり、誰の魂すら揺さぶることすらできず、それに触れられぬようになった。それが、私にとっての最大の不幸であり、己の弱さゆえ招いた結果であり、その結果を招いた己の責任であり、そのことを気づいた時には既に、私は微睡みの幸福のまま、生きぬまま死なずにいた。口角が上がることを笑みだと思い、笑い、表情が澱んだことを緊張がほぐれたと思い、落ち着き、思考が緩んだことをストレスのない生活だと思い、それで幸せだと思った。文を書けない一点を除いて。
堕ちた己は、それを拒み、私は上へいける存在だと思い込んだ。
そのことに気づいた私は、這い上がるにはあまりに遅く、鈍重な体の存在に気づいた時には、いや、己が、黒く脈打つ、悍ましい、死屍累々としているのか、ただ手足が何かと一体化しているその何かの一部になりかけていることに気づき、湧いた希望という最後の己が、冷静にあたりを分析すればするほど、私に希望などないということに気づいた。最早、持ち合わせた最後の理性や知性などは不要であり、何も考えない方が余程幸せであった。
飲み込まれた私は、五感がただなく、意識のみ、ただ、なんとなく、流されているような、埋まっていくような、断定できないその感覚だけが、諦念している私の退屈を紛らわすもので、そしてそれは、それに一体化するまいといった、私の最後の悪あがきでもあったと思う。
その時ほど己の無力感に苛まれたことはなかった。何をしていても、結局は無駄なのであれば、いっそのこと楽になってしまおうだとか、そんなことが頭に過り、感覚は既にないはずであるにも関わらず、頬に一筋伝った感覚があった。生きたいのだと、本心は生きたいのだと。悔しくて、情けなかった。生きたいと強く望んだ時には既に遅く、常だった。強く願うことは、既に手遅れだった。
私は愚かで、遥かに愚かで、さしも愚かなのだろう。飲み込まれ、薄れゆく意識の中、懺悔ともとれる後悔が、私の無力感を助長する。