小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

堕楽した快落

INDEX|11ページ/12ページ|

次のページ前のページ
 

偽りたる自由

私が初めて自由を感じられたのは、精神病を患い、精神科の一室に入れられ、ドアが開くや否やその音のする方向に椅子を投げ飛ばした時であった。
そこに思考の余地がなかった。相手の事を想う、労わる、慈しむ、気を遣う、尊敬する、媚び諂う。私が母に、相手の気持ちになって考えなさい、と言われた時から、それが呪いのように体にこびり付き、心を蝕み、他人未満、自分は二の次、三の次となっていた。全ては他人に迷惑をかけないように、相手の気持ちを汲み取り、何をしてほしいのか先読みする。後先を考え、ミスをしないように更に先の先まで考える。人に不快な思いをさせないように、いつしか表情だけで感情を読み取れるようになっていた。
何も考えず、深読みもせず、後先なども考えず、その瞬間だけは、ただ、意思に反らずとも従わず、椅子を投げて、椅子を投げたと気づいた。愉快だった。食事を運んでくれた看護師が痛そうにしているのを見て、笑ってしまった。どこか心配する私もいる中、それを抑え込むように笑った。嗤わなければ、また自殺をしてしまった。心の底から笑った。
血を見て、絵よりも繊細で、絵具より重く流れるなと思った。
顰める面を見て、皺が寄るなあ、美人なのに勿体ないと思った。
腕を見て、傷がついてしまったなあ、でも顔じゃなくて良かったねと思った。
お盆から落ちたご飯をみて、アリたちの食事になったと、目には見えない微生物たちの食事になったと、どこか喜ばしくて、とっても嬉しかった。
あれほど人の痛みが分かるような人間になれと言われて育ち、しかし、その腕の痛みが私には分からなかった。それが、愉快で、どうしようもなく面白くて、馬鹿馬鹿しくて、申し訳ないと思ったのは怪我をされてしまったからではなく、モラルと道徳と仁義から来る人間として最低限から来たものであった。他人の痛みなど分からない。初めて感じた自由だった。
しかも、私はサイコパスの類でもないと確信した。血を見て興奮するだとか、人の気持ちが分からないだとか、そんなものではなく、長年沁みついた共感性というのは中々拭えるものではなかったため、人を殺して罪悪感を抱けないであろうことも自ずと分かった。それは、その夜、楽しかったはずの昼間の出来事が、どうも脳みそから抜け出せなく、本能的に気にかけているのだと、私は自由を感じたものの、母からの呪縛も抜け出せずにいるのだと、檻の近くに寄り、遠くものを眺めただけに過ぎなかっただけなのだと気づいたからであった。
ずっと見て見ぬふりをしていたが、私の傍に立つ子供の私が、どうして僕にはないのか、なんで弟には僕が欲しかったものがあるのか、と弟を指さし、泣くのを堪えて私に語りかける。ごめんな。語源性を感情に蓋をされ、それが唯一出せた言葉だった。ごめんな。私は、泣きたい僕を誰よりも優しく抱きしめ、誰よりも大声で泣いた。
僕は誰よりも強かった。うれしいなあ、うれしいなあ。僕はそう言って微笑んでいる。天使に導かれるように、天国への扉を見つけたかのように、ただ僕は微笑んでいた。幸せそうに、嬉しそうに。そこに一切の負の感情はなく、浄化され、僕は本当に嬉しそうだった。
僕は私の手を引き、私は引かれるまま、眩い世界へと連れていかれた。
作品名:堕楽した快落 作家名:茂野柿