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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Hydra

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二〇〇五年 七月 ― 十六年前 ―
  
 金曜日から週末にかけて、あちこちで一生分の拍手をされたけど、月曜の朝のホームルームのときに改めて宮下先生が賞のことに触れ、教卓の隣に立ったわたしはクラス全体の拍手を受けた。視界の隅で、天利ですら愛想笑いを浮かべながら小さく拍手をしていた。
一限目の休み時間、前の席にひょいと腰かけた相楽が言った。
「改めて、おめでと。私、ほんと嬉しいんだ」
「ありがと。ちょっと身に余る栄光で、困ってるぐらいだよ」
 柳岡はそう言うと、だらけて机にうつぶせになっている浜梨の方を向いた。
「わたし、写真だと太ってなかった?」
「えっ?」
 浜梨が顔を上げて、その頬に張り付いたままになった下敷きが音を立てたとき、相楽が言った。
「はい、時間切れでーす」
「厳しいな」
 頬から下敷きをはがした浜梨は、笑顔に切り替えた。
「おめでとう。地元の誇りだよ。大学もこれで顔パスじゃないの?」
「さすがに、それはないよ」
 柳岡が言ったとき、相楽が少し身を乗り出して、浜梨も手で呼び寄せた。浜梨は女子二人の距離感に入り込むのに少し躊躇していたが、顔を逸らせながら加わった。相楽は小声で言った。
「やっちゃおう、放課後までに」
「何を?」
 浜梨が小声を真似るように言いながら、相楽の方を見た。
「逆転ゲームだよ」
 相楽は短い言葉で言うと、輪からぱっと離れた。残された柳岡と浜梨は顔を見合わせて、元の距離感に戻った。相楽の言おうとしていることは、分かる。ついに、天利を助けるだけの力を手に入れた。あっさりと、その日が来たのだ。これだけあちこちに顔が売れた名士の娘で、今や大学との繋がりすらできている。このクラスの人間であれば誰であっても、柳岡に手を出すときは自分が返り討ちに遭わないように、よく考えなければならない。それでも少し怖くなって、柳岡は言った。
「これ、天利さんに確認しなくていい?」
「何を? 助けていいかって?」
 浜梨が代わりに言った。すでに乗り気だ。相楽は周りの様子を窺うように首を回すと、小声で言った。
「浜梨くんは、じっとしててほしい。男子が発言すると怖いし、天利さんも引くと思う。えりか、何かいい案があったら教えて」
 相楽が自席に戻り、浜梨が小声で言った。
「相楽さんって、なんかすげーよな」
 柳岡はうなずいた。その顔が自分の方を向いて会話が始まると思っていた浜梨は、柳岡の目線を追った。ようやく浜梨の方を向いた柳岡は、言った。
「そうだね、相楽はいつもはっきりしてるから」
 チャイムが鳴り、現国の授業が始まった。絶対に相楽が納得しない案がある。それでも、ついてこないわけにはいかないだろう。柳岡は考えた。わたしと仲違いすれば、相楽はクラスだけでなく、部活でも立場を失う。傲慢な考えばかりが頭に浮かぶ。相楽のことは好きだ。別に嫌な思いをさせたいわけじゃない。ただ、高校を卒業すれば相楽は赤の他人に戻るに違いないということを、頭のどこかが理解してしまっている。
 昼休みに入り、倉神さんのところに取り巻きが移動した。相楽が弁当箱を持って柳岡の前に来たとき、柳岡は自分の弁当箱を手に持って立ち上がり、相楽に言った。
「来て」
 相楽は、目をぱちぱちしながら立ち上がり、教室内を横断する柳岡の後をついて歩いた。柳岡は、天利の席の前まで来ると、言った。
「天利さん、一緒にご飯食べない?」
 見えない箸で突かれたように、天利は肩をすくめた。総菜パンはまだ開かれていなくて、その爪は綺麗に切られてはいるけど、子供のように小さかった。
「え……? はい」
 天利の目が柳岡と相楽の間を泳ぎ、クラス全体が静まり返った。それが天利に対して行われていたいじめの反作用であり、新たに学校から『特別な生徒』という公認を得た柳岡の方針だということが、凍り付いた空気の中を瞬時に駆け抜けて、満たした。相楽はまだ戸惑っていたが、空いている椅子を引いて、天利の席を囲むように腰かけた。柳岡も同じように椅子を持ってくると、腰かけるのと同時に言った。
「ありがと。わたし、ずっと話したかったんだ」
 自分でも意識しない内に飛び出した言葉に、驚いていた。それは、まぎれもない本音だった。天利は顔を上げると、少しだけ猫背を起こして言った。
「プールでは、失礼しました」
 柳岡は首を横に振りながら、思った。まっすぐ顔を見るのはプールのとき以来だったが、顔色こそ不健康そうでも、天利は理知的な顔立ちをしていた。柳岡は言った。
「そんなことじゃなくて。わたし、あまり知らないから」
「私のことですか?」
 天利は総菜パンの包装紙に爪をひっかけたまま、神経質な仕草で口角を上げた。相楽が隣から言った。
「天利さんのポニテさ。いつも同じ形だし、ほどけないじゃん」
 天利は相楽の方を向くと、愛想笑いを浮かべた。
「これは、上を向いた状態で留めると、抜けにくくなるんです」
「コツあるんだ?」
 柳岡は、相楽が提供した話題に飛び乗った。危ないところだった。自分から話しかけたのに、このままお通夜になるところだ。勢いに任せて結び方を聞こうとしたとき、相楽が大きめの声で遮った。
「いや、普段あれだけ引っ張られてて、丈夫だなって」
 クラスの空気が、また半分近く凍った。今度は、倉神の二人の取り巻きが中心だった。倉神の席の周りにいるし、その弁当の蓋は開いている。二人は、倉神と何かを話し合っているようだったけど、結論が出たらしく、少し色が落ちて白くなった顔を見合わせると、立ち上がって相楽の近くまで歩み寄った。天利の顔色を窺うように、その目は泳いでいた。柳岡の方は怖さが勝って、見ることすらできないようだった。二人の内、眼鏡をかけた方が天利に言った。
「あ、あの。ごめんね」
 もうひとりが、歩調を合わせるように言った。
「私も。ごめんなさい」
 相楽が二人の顔を見上げながら、言った。
「自己紹介してよ。私、いちいち名前とか覚えてないから」
 眼鏡は木戸と名乗り、眼鏡でないほうは古賀と名乗った。相楽は、柳岡の顔色を器用に窺いながら、言った。
「いじめてたら、いつかはこうなるんだよ」
 生活指導の先生みたいだ。柳岡は思わず笑った。天利がほんの微かに笑顔を見せたのも、見逃さなかった。相楽は二人に合わせるように笑顔を作ると、続けた。
「ごめんなさいってさ。意味は分かるんだけど、ただの言葉だよね」
 天利が、総菜パンに引っかかったままの手を少し閉じた。柳岡は、相楽にこれ以上負担をかけてはいけないと思い、木戸と古賀に顔を向けた。
「とにかくさ。これで終わりにしてほしいんだ。もういいよね?」
 木戸と古賀の二人がうなずいて、木戸が踵を返そうとしたとき、相楽が笑顔のまま制服の裾を力任せに引いた。古賀が凍り付き、元の体勢に戻された木戸は気を付けのような姿勢で続きを待った。相楽は、笑顔を崩さずに畳みかけた。
「なんだっけ、先週出たアイス。二人とも知ってる? とにかくさ、手ぶらで来てご飯食べてる人の手を止めるとか、それ謝ってないだけじゃなくて、逆に失礼だから」
 二人が席に戻るまで、その鋭い目はずっと背中に向いていた。柳岡は言った。
「アイス、買ってこさせるつもりなの? やりすぎじゃない?」
作品名:Hydra 作家名:オオサカタロウ