Hydra
三人家族が住む家に、新たな居場所を見つけた賞状たち。例外は一枚だけで、今でも実家にある。それは、十六年前の七月一日に受け取ったものだ。学校へ連絡が入って、先生たちが慌ただしくなった。わたしの携帯電話にもメールが来ていたけど、気づいていなかった。選考待ちだった、わたしの絵。それが最優秀賞を取ったという連絡だった。人生で『取材』というものを受けたのは、あれが最初で最後。あちこちに、様々な切り口でわたしの絵と両親の言葉が載った。付き合いのある美大から美術の先生が来て、みんなの前でわたしを激励してくれた。柳岡コンクリートには、あちこちから祝いの言葉と花束が届いた。わたしも、人前では素直に喜んでいた。期待していたのは、副作用の方だった。
わたしが切り詰めた導火線は、その日を境に一気に動いた。