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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Hydra

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 六限が終わって、担任の宮下先生が何事もなかったように入ってくると、天利の方がどうしても影になって見えないように目を逸らせながら、ホームルームを始めた。下校時の注意。防波堤の工事が始まっているから、海水浴場から先のエリアで水に入らないこと。自転車通学している中で、ヘルメットを被っていない人がいると、近隣から注意を受けています。あちこちから色々言われて息苦しいのは、担任も同じだろうけど、一度そのまま死ぬまで息を止めてみたらと思う。なんとも締まりのない会が終わり、熱が籠った校舎の階段を下りきったところで、左隣を歩く相楽が言った。
「さて、二年生の柳岡さん。どーします?」
「今日は、英気を養おうかな」
 柳岡は、笑顔で応じた。課題を与えられて、長机の上に置かれた画用紙と睨めっこするのは、一年生の仕事。二年生に上がればテーマは自分で決められるし、期末試験が近づいているから、『勉強』と称して帰ることも許されている。文化祭の準備が始まればそれにつきっきりになるけれど、夏のコンクールに出すために、一枚仕上げるつもりだ。市がやっている別のコンクールに出したのは、まだ選考中で結果は出ていない。
 部室へ向かった相楽と別れて学校から出ると、柳岡は海岸沿いの道を歩いた。少し色づいた太陽にじりじりと照らされながら、陽炎でぐにゃぐにゃに溶けたような道を歩く。夏のコンクールのテーマは、『海への思い』。相楽は、目の前にありすぎて思いつかないと言った。得意なのは静物画だし、多分、勝負事は嫌いなのだ。柳岡は、すでに懐かしい存在になってしまったように、さっき別れたばかりの相楽の顔を頭に浮かべた。緩くまとめられた色素の薄い髪に、象牙のような柄の大きな髪留め。お面のようにころころと変わる表情も、絵のモデルに向いている。何より、相楽は家が好きなのだ。今日もできるだけ寄り道せずに早く帰って、ミニチュアダックスのミッチェル三世と遊ぶのだろう。柳岡家には、夜まで誰もいない。夜になって足音が聞こえてきて『おかえり』と言ったら、開きっぱなしの玄関から入ってきたお客さんだったことも多々ある。だから放課後は、絵を描く以外にやることがない。
 海沿いの道から一本高く上がっていく道を見つけて、柳岡はそちらへ足を進めた。厚い空気の壁からすっと横へ抜けて体が軽くなり、頭上に被さる木々が太陽を隠して、少しだけ涼しくなった。道路脇に建てられた大きなトタンのひさしの下に埃だらけの廃車が放置されていて、その真向かいは公園のように、小さな滑り台とタイヤの椅子がいくつか置いてあった。柳岡は深呼吸をすると、埃だらけの廃車を眺めた。グレーの車体は埃を被っていて、トランク右側のロゴは、かろうじてブルーバードと読める。トランクは平らでキャンバスに見えた。
 相楽の『この町がイヤだ』という言葉。あれは、本音だろうな。そう思いながら、柳岡はトランクを指先でなぞった。埃の層が薄くなり、それは駅と線路になった。南川原高校の特徴的な三角屋根と海岸に沿ってくねる道路を足すと、観光案内のようになった。でもこれだと、そこにあるものをなぞっているだけだ。柳岡は少し考えこむと、駅の真ん前に丸い球体を描いた。真ん中に『ばくだん』と付け足すと、そのアンバランスさが面白くなり、柳岡は自分で笑った。
「ほんと、爆発したらいいんだよ」
 絵に満足した柳岡は、公園から海を見渡した。下の道路を歩いている浜梨が見えて、隠れようとしたけど遅かった。目が合って手を振り返しながら、柳岡は苦笑いを浮かべた。人の気配が見えるのだろうか。足音が近づいてきて、浜梨の連れてきた空気が本人と一緒に入ってきたとき、柳岡は言った。
「ここ、ちょっと涼しくない?」
「高いとこに顔だけ見えて、びっくりしたよ。体調悪いの?」
 浜梨の言葉に、柳岡は笑いながら首を横に振った。そうか、それを心配してくれたんだな。
「大丈夫」
「そりゃそうか。体調悪いのにわざわざ上り坂チャレンジしないよな。今年も、人集まるのかな」
 去年の春ごろにテレビで紹介されたことで、地元が誇る青色の透き通った海は一気に知名度が上がった。去年の夏は車の大行列ができて、柳岡コンクリートは土日に敷地を解放して臨時駐車場にするという『名士ぶり』を発揮した。ちゃっかりしている相楽は麦わら帽子を被って海水浴場に出向き、泳ぎ疲れた家族の似顔絵を描いて小遣い稼ぎをしていた。浜梨は、従兄弟が切り盛りする海の家の手伝い。わたしは、臨時駐車場に入って来る車のナンバーを控えていた。蝉の音に混ざって、遠くの方から音楽が聞こえてくるだけの夏だったのが、突然強制参加のイベントになってしまった。
「わたし、ナンバー控えるの嫌だ」
「地味だよな……」
 浜梨はしみじみと言い、頭上に視線を泳がせた。
「家でも嫌なことあってんの?」
「学校で、特に嫌なことはなかったけど」
 柳岡が呟くと、そんなわけないだろとでも言うように、浜梨は肩をすくめた。柳岡は小さくため息をつくと、目を伏せた。
「あれ、ずっと続くのかな」
「分からない」
 浜梨は、同じ気分を共有しようと試みるみたいに、同じ仕草で目を伏せた。柳岡は言った。
「せんせー、絶対何もする気ないよね」
「あいつはダメだろうな」
 浜梨は短く言うと、振り返るように首を回して、山のはるか上を見上げた。
「おかっぱホテルは、取り壊されるらしいぜ。肝試しも、今年で最後だ」
 おかっぱホテルは、山へ少し入ったところにある廃墟で、柳岡は子供のころに一度だけ泊まったことがあった。屋根が崩落して垂れ下がり、めくれて建物にのしかかっている様子がおかっぱ頭に見えるから、そのように呼ばれている。柳岡は入れ替わった話題に付き合う意思表示のように、背筋を一度伸ばしてから言った。
「壊されたら、次は何ができるんだろ。おかっぱミュージアム?」
「それ、俺らが勝手に呼んでるだけじゃん。光栄だけど」
 浜梨は笑いながら言った。おかっぱホテルは、由緒のある心霊スポットだ。これも夏になると、若者でごった返す。去年は、隣の県から来たグループが『霊に追いかけられた』と言いながら、コンビニの駐車場で大騒ぎをしていた。今年もクラスの中では、特に心霊現象に興味のある倉神、鐘川、巻嶋がよくその話をしている。
「倉神さん、肝試し行くのかな。あんなことやってたら祟られるんじゃない」
 柳岡が言うと、浜梨は笑った。
「いいんじゃない。大人しくなるかもよ」
 起きてもいないことを想像して、柳岡と浜梨は顔を見合わせて笑った。公園から出たとき、ひさしの中に停められたブルーバードに気づいた浜梨が言った。
「なんだこれ、さっきからあったっけ?」
 トランク上に描かれた自分の作品のことを思い出した柳岡は、浜梨の背中を強く押した。
「見ないでよ」
「なんでだよ。なんかあるの?」
 言葉では抵抗しながらも、浜梨は言われるままに坂道を下り始めた。柳岡は深呼吸してから元の道に踏み出すと、コンビニの前まで浜梨と歩き、運動公園との分かれ道で手を振って別れた。
     
     
― 現在 ―
   
作品名:Hydra 作家名:オオサカタロウ