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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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元禄浪漫紀行(29)~(33)

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第三十三話 婚礼






大家さんのお説教があらかた済んでおかねさんも泣き止むと、大家さんはこう言った。

「実は今、源さんを私の家に呼びにやっていたんだ。だからお前さんたちも来なさい。しっかり詫びをするんだよ」

おかねさんはもうすっかり素直になっていたので、少し怖がっていたが、俺が「私も一緒に謝りますから」と言うと、「すまないね」と言って、俺たち三人は大家さんの家に向かった。





着いてみると、源さんは大家さんのおかみさんとお茶を飲みながら笑い話をしているようだった。そして、俺たち二人が立っているのを見ると、少し不服そうではあったけど、あちらも申し訳なさそうに、少し頭を下げて迎えてくれた。

源さんはもう長いこと左官の職人として生きてきた人で、やもめだった。でも昔のように喧嘩はせずに、年相応の落ち着きがあり、かなり小柄ではあったけど、笑顔の優しい人だった。

おかねさんは、「このたびは本当に申し訳ないことをしました」と言って深く頭を下げたし、俺は何も言わなかったけど、それに倣った。

そして、話の要点は隠しながらも、大家さんが、なぜおかねさんがあれほどに怒ったのかの説明を源さんにした。すると途端に源さんは申し訳なさそうに俺たちに頭を下げて、擦り切れた甚平姿で何度も俺たちに謝った。

「すみません…そうでしたか…それは本当にすみませんでした。あたくしも帰ってお糸を叱らなければいけないところですが、実はこれから仕事がありまして、もうだいぶ待ってもらっているので、行かなければいけないのです…重ね重ね、失礼を致しまして、申し訳ない…」

そう言って今にも泣きそうな顔をしている源さんに、俺たちは「もう大丈夫です」と何度も声を掛けた。

「さあ、じゃあ源さんも仕事の相手に待ってもらっていることだし、これでこの件はもう恨みっこなしでお願いするよ。あたしも誰かをここから追い出すなんて嫌だからね」

大家さんがそう言うと、全員それに頷き、源さんはまた頭を下げてから、仕事へ出かけて行った。



俺たちはそのあとも大家さんに引き止められて、おかねさんの稽古が始まる少し前まで、三人で話をしていた。そして、やっぱり大家さんはこう言った。

「それで、お前さんたちのことだけどね。やっぱりもう早くに祝言をあげた方がいいんじゃないのかい。これ以上ことがややこしくなる前にやっておけば、お互いに気持ちのけじめもついていいだろう」

するとおかねさんは急に不安そうな顔になって、おろおろとし始める。

「でも、でも大家さん…あたしはあんなことをしてしまったんですから、今すぐにはそんなことはできません。それに、祝言を上げることだけで、周りからなんと言われるか…」

彼女はもう突っ張って意固地になることもなかったので、今度は“そんなことを今すぐにすれば、他人様からどう言われるか”が気になって仕方ないようだった。それは俺も同じだ。

「大家さん、もう少し時を待ってからではいけないのですか。このままそんなことをすれば、私たちは長屋に居場所がなくなってしまいます」

大家さんは、「フーム」とうつむいて考え込んでいるようだった。

「では、もう少し経ってほとぼりが冷めたら、あたしが間に立つから、お前さんたちはそのつもりでいなさい」

「え、ええ、それなら…」

おかねさんはまだ不安なようだったけど、俺たちは話もそこそこに、お稽古に間に合わせるため、家に帰った。






ところで、ここで「栄さん」と「六助さん」の話をしておかなければいけない。


俺たちが祝言をあげるまでの少しの間、その二人が働きかけてきたことがあった。

栄さんは俺に文句を言いながらも「うまくやりゃあがって。たわけものぉ」と笑いながら俺の頭を小突き、六助さんの方は話を聞くとすっかり意気消沈してしまった。

「俺がいちゃあ、お前さんたちはやりづらいだろい」

「あたくしは、お師匠の元へもう通うことはできません。申し訳ございません」

そう言って二人とも、おかねさんのお教室をやめてしまった。

ほかにも幾人か男のお弟子が下がり、通ってきていた娘さんの母親たちも、「下男とそんなことになっていたなんて」と呆れてしまい、娘さんも何人かは下がっていってしまった。

ただ、ここで良かったことも一つある。

それは、おかねさんの腕を見込んで本気で通っていたお弟子ばかりが残ったことで、“春風師匠”は稽古に手加減やお世辞を使う必要もなくなって、お弟子はみんなぐんぐん腕が上がった。

そうすると、今度はその評判を聞きつけて、師匠の暮らしなどはどうでもよい、三味線が好きでたまらないお弟子が、何人か新しく入るようになったのだ。


俺の「写し物」の稼ぎは相変わらず少なかったけど、ある時、俺に一件の仕事が舞い込んだ。

「おめえさんは、どうも話をよく理解できるようで、写したものの感想を聞いてもなかなかだ。それに、元々は書き物の練習もしていたって言うじゃないか。一つ、青本でも書く気はねえかい」

そのころはもう俺が仕事を受け取りに行っていた本屋でそんな話が出て、俺はもう長いこと江戸に居て、様々な文化に通じていたので、その話を受けることにした。

まずは思いついたままに書き始めることから始め、そしてその中の一本を、ご店主が気に入ってくれたのだ。

そして俺は、「空風秋兵衛(からかぜ あきべえ)」として、一冊の青色の草双紙(くさぞうし)を出した。






「まあまあお前さん!すごいじゃないかねえ!売れるといいねえ!」

おかねさんは出来上がって挿絵もたっぷり入った俺の本をすっかり気に入り、何度も読み返しては、「お前さんは才があるよ」と褒めてくれた。もちろんそれは初めて出した本だから売れ行きも何もあったものではなかったけど、俺はいつか遠い時代に描いていた、「小説家になる」という夢が叶ったような気がして、心底嬉しかった。