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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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元禄浪漫紀行(29)~(33)

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第三十二話 お説教






翌朝、俺たちが食事が済んだ頃合いで、トントンと戸を叩く人があった。

「はい、どなたでしょう」

返事をすると、「あたしだよ、秋兵衛さん」と、どこかため息交じりの大家さんの声が聴こえてきたのだ。

「はい!今開けます!少々お待ちください!」

俺はばっちりと心当たりがあったので急いで返事をしたけど、おかねさんはふてくされたように横を向いていた。








目の前にはしかめっ面をした大家さんが居て、おかねさんはそれを真っ向から受け止め、さっきからもう五分ほども二人は睨み合っていた。

俺は一人で“この長屋から追い出されるんじゃないか”とか、“またおかねさんが喧嘩を始めたらどうしよう”などと考えて悩んでいて、時折二人の様子を窺っては、その険しい表情にすぐ目を逸らした。

しばらくすると大家さんがだあーっと息を吐き、そうするとおかねさんはつんと横を向く。そしてついに、「お説教」が始まった。

「あたしがなんでここに来たのかはわかるだろう」

横を向いたまま、おかねさんは「いいえ」と答える。

「これ、しらばっくれても無駄だ。源さんから今朝、これこれこうとみんな聞いたんだから」

大家さんがそう言ったので、おかねさんは目だけを大家さんの顔に戻す。

「そうですか」

「そうですかじゃあない。若い娘さんの髪を引っ張り回して引きずり倒しちまうなんてのは、もってのほかだよ。どうしてそんなことをしたんだい」

おかねさんはちょっとためらったのか黙っていたけど、顎をくいっと持ち上げると、大胆にもこう言った。

「うちの下男に手を出そうとして、襲いかかったからですよ」

その時俺はどんな顔をしていればいいのかわからなくて、うつむいて息を止め、肩を縮めていた。

「そうは言ってもね、それは本当なら本人同士で済ませる話だ。おかねさん、なにもお前さんが出て行かなくたって…まったく、お前さんの癇癪にも困ったよ」

大家さんはすっかり呆れてししまいそうになりながらも、おかねさんに噛んで含めるように言い聞かす。

俺は必死で二人を見守っていたので、手元にあったお茶を飲むことすらできなかった。

「大家さんは、ご存じのはずじゃございませんか」

その言葉にドキッとして、俺はおかねさんを見たけど、彼女は向こうを向いていて、顔を見せてはくれなかった。

「お前さんと、秋兵衛さんのことをかい」

大家さんはちゃぶ台に肘をつき、おかねさんの方へと身を乗り出した。

「じゃあ言うがね、亭主とも色(いろ)とも言っていない男のことで、ほかの女と喧嘩になるなんて、こんなおかしな話はないんだ。これほどのことを起こすんなら、なんとか心を決めたらどうなんだい」

そう言われておかねさんは下を向き、膝のところで浴衣をぎゅっと握った。

どうでもいいけど、俺はこの話を聞いていて大丈夫なんだろうか。

「だって、そんなこと言ったって…」

「まだ善さんのことが気になるのかい」

「いいえ…大家さんがああ言って下さって、それからあたしもさほどまでは…」

「じゃあなぜ」

おかねさんはそこで浴衣の袖を自分で引き寄せ、がばっと顔を覆った。俺と大家さんは、息を詰めてそれを見つめる。

おかねさんはいつの間にか小さな肩を縮めて背中を丸め、すっかり落ち込んでしまっていたようだった。俺は思わず、彼女に声を掛けようと口を開く。その時だった。


「だって…あたしはもう、三十五じゃないですか…」


“えっ?おかねさん、三十代だったの!?そうは見えねえよ~!!”


俺がそう驚く顔を隠そうとして下を向いていると、大家さんがまたため息を吐くのが聞こえた。

「まさかお前さん、自分の年を気にしてたのかい」

俺が顔を上げると、おかねさんは袂の布地を両目に代わる代わる押し当てて、ちょっと涙を拭っているようだった。

「そりゃあそうじゃないですか…だから、お糸さんのことだって、よけいにカーッとなってしまって…あたしはもう、若くはないんですから…」

おかねさんは苦しそうに泣いている。俺は今度こそおかねさんを慰めようと、身を乗り出した。でもなんとそこで、大家さんが思いっ切り笑い出したのだ。

「アーッハッハッハ!」

俺とおかねさんは驚いて大家さんを見たけど、大家さんは体を引いてちゃぶ台を叩き、とても愉快そうに笑っている。

「わ、笑うことないじゃありませんか!何がおかしいんです!」

おかねさんは涙声でそう叫んだ。しばらくの間、大家さんは笑いを収めようとして苦労していたみたいだけど、目尻の涙を拭うと、おかねさんに頭を下げて手を合わせる。

「いやいやごめんよ、笑っちまって。でもお前さん、色事は年でするものじゃない。それに、お前さんたちはもう想い合っているんだしね。あとはなんてったって、お前さんはまだそんなに綺麗なんだ。だから、悩むこともないと思って、つい笑っちまったんだよ。悪かったね」

大家さんがそれを言い終わった時、おかねさんは今度は恥ずかしくて顔が上げられなかったようで、それに、俺にも顔を向けてはくれなかった。

頬を染めて顔を逸らす彼女は、やっぱりとても綺麗だった。



“おかねさんの年、知らなかった…そういえば俺、聞いてなかったな…”