元禄浪漫紀行(12)~(20)
第十五話 江戸懐都合
長屋の住人で、「小間物屋」を営んでいる銀蔵さんという人が居るのは、もう話したと思う。銀蔵さんの商いは「背負い小間物」というもので、各地で婦人向けの品物を仕入れてきては、それを背中に背負ってお得意の家に売り歩くんだそうだ。その銀蔵さんが、久しぶりに帰ってきたらしい。
「ねえ秋兵衛さん。銀蔵さんが帰ってきたっていうからさ、あたしゃちょっと商いの中から品を見てみたいんだけどねえ。お前さんもよく挨拶をしなくちゃならないし、ついてきておくれな」
「は、はい。わかりました」
おかねさんは活き活きと喜んでいて、俺はまたちょっと緊張していた。土台、俺はあまり人付き合いが得意な方ではないから、初対面の人を前にするとどうしても緊張してしまう。
銀蔵さんの家は長屋の一番端にある。おかねさんが控えめに戸を叩くとすぐに「どなたですか」と愛想の良さそうな明るい声で返事があり、おかねさんが声を掛けると、俺たちはすぐに家の中に通された。
「ご無沙汰しちゃってあいすいません、おかねさん。でも、おかげさまでいい品が揃いましたよ」
銀蔵さんはしゃっきりと背筋の伸びた背の低い方の人で、商売柄か、あたりの良い声と笑顔にこちらも楽しくなってくるような、そんな人だった。
「そうかい、そりゃあいいねえ。どうだい、ちょっと見せておくれな」
おかねさんも楽しそうに笑っていた。
「ええ、すぐに。ところで…そちらはどなたで?」
俺は挨拶の文句をまだ考えていて、銀蔵さんのご商売のことから話を広げようかとも思ったけど、「それでまた怪しまれることになってもいけないしなあ」と、悩んでいた。すると、俺が困っているのを見たおかねさんが、また助け舟を出してくれた。
「この人はね、行き倒れからあたしの下男になったんだよ。働き者で、人間はいい方さ。あがってもかまわないかい?」
「そうなんですかあ。そりゃあ大変でしたねえ。ええ、どうぞどうぞ。今ちょっくらめぼしい品を出しますんで」
俺たちは銀蔵さんの家に上がってお茶を出され、銀蔵さんは商売道具から品物を出そうと後ろを向いた。その合間に、おかねさんは俺に耳打ちをする。それは本当に小さな声で、俺たちにしか聴こえなかった。
「“しょい小間物”はね、ああやって小さい引き出しの並んだものを背負って、お得意を回って、女物を売り歩くのさ。「今度は上方へ行く」って銀さんは言ってたから、きっといい物があるよ」
俺に内緒話を囁いてから、おかねさんは嬉しそうにくくくと笑った。
ああ、そういえば、「下らない」の語源は、大阪や京都、つまり「上方」から、江戸に「下る」ものがあって、そうじゃない半端物を「下らない」と表現するんだったっけ。と、俺は思い出した。
やっぱり江戸の人も、京都や大阪からの品物っていうと、有難がるものなのかな?
そこへ、畳の上にいくつかの売り物を出し終わった「銀さん」が振り向く。
「どうだい、なんだか良さそうなものがあるじゃないかね」
おかねさんはそう言うと、品物を見定めようと少し瞼を下げて、それぞれをじいっと見つめた。
「ええ、ええ。この櫛なんか、ちょっとしたもんですよ。おかねさんならお代はちいっとばかし負けますよ」
「ちょっと見せておくれな」
銀さんからべっこうでできたらしい琥珀色の櫛(くし)を受け取ると、おかねさんはそれをためつすがめつ眺めて、一つ頷く。
「いくらだい?」
おかねさんが櫛を握ったままそう聞くと、銀さんは首をひねり、「うーん」と考え込んだ。
「そうですねえ…それなら…」
結局おかねさんは、新しい櫛と、笄、それから京都で流行りの紅を買い、銀さんに「二百文になります」と言われるままに、財布からそれを出して支払っていた。俺はこの頃にはもうお金の数え方には少し慣れていたので、「二百文」というのはちょっとした大金だということくらいはわかっていた。
作品名:元禄浪漫紀行(12)~(20) 作家名:桐生甘太郎