元禄浪漫紀行(12)~(20)
第十三話 長屋騒ぎと江戸の音
俺はおかねさんの家の戸口で、混乱していた。
とにかく俺は誤解されている。五郎兵衛親方は、おそのさんと俺が不倫をしていると勘違いして、一気に怒り狂ってしまった。
「てめえは待ってろ!俺ぁこのアマ片付けてから、てめえもぶっ殺してやる!」
え、ええ~~っ!?勘違いでそこまでいくか!?
俺はこの時初めて、「江戸っ子の気の短さ」というものを思い知った。
親方はこの家からおそのさんが出てきたところを見た。そしてその時、俺は家の中に居た。
それにしたってちょっと早計過ぎやしませんか親方!
「ま、待ってください親方!誤解です!」
無駄かもしれないけど、俺は事情を説明したかった。だってそうしたら納得するんだし。
「誤解も何もあるかってんでぃ!クソでもくらえこんちきしょう!」
俺にそう叫びながら、親方はおそのさんの髷を引っ掴んで離さない。
「何さ!お前さんだって浮気ばっかりで女狂いをしてるじゃないのさ!そんなお前さんが言えた義理かい!」
おそのさんは髷を掴まれた手を引っかきながらそう叫んだ。
「なんだとぉ!?」
おそのさんはつい口からそう出てしまったんだと思うけど、それで誤解はさらに加速し、親方はとうとう腕を振り上げた。だから俺は止めるために滑り込もうとした。でも、間に入って親方を取り押さえたのは、俺ではなかった。
「邪魔すんじゃねえ!放しやがれってんだよ!」
「まあまあ、ちょっと落ち着きなさい」
五郎兵衛親方を止めたのは、大家さんだった。
「大家さんかい!悪ぃけどな、手を放してくれ!こいつぁな!」
いつの間にか現れた大家さんは、穏やかな表情を作りながらも、年老いた体でなんとか五郎兵衛親方を押さえようとして、力を込めた腕をぶるぶる震わせている。
「だから。はいはい、ちょっと落ち着きなさい」
それでしばらく大家さんと親方は力比べをしていたけど、怒りが収まってくると親方もふうっと息を吐いた。大家さんの後ろに海苔屋のトメさんが居たから、多分、騒動を聞きつけて急いで呼んでくれたんだと思う。
「それで、何があった」
俺たちはとりあえず、おかねさんの家に入って、大家さんと俺、それから五郎兵衛親方とおそのさんで、話をすることになった。トメさんは「とにかく喧嘩が収まってよかった」と、家に帰って行った。
「何がってねえ大家さん。この女、間男してたんでぃ」
「ここに居る、秋兵衛さんとかい」
「そうですぜ、まったく」
「そんなこたぁしやしないよ!お前さんが帰ってこないんで、心配をして相談に来ただけさ!」
「確かに、私はそのことで相談をされて、お茶を出しただけです」
それぞれの主張が出ると、どうやら親方にもはっきりと事情はわかったようだ。でも、さっきまであれほど怒って「ぶっ殺す」とまで言ってしまった手前、決まりが悪いのか、親方はぶすっとした顔をやめなかった。
「まあ、勘違いは誰にでもあれど、お前さんはもう少し考えてからにしなくちゃならない。とくに、おそのさんは良い女房で、お前さんだって惚れてるからあんなに怒るんだ。それならもっと大事にしておやんなさい。もう少し度量を広く持って、話を最後まで聞いてやるくらいはしなきゃならない。そうすれば今度みたいに、おそのさんに痛い思いをさせずに済むんだから。もう少し、話を聞いてやるんだよ」
「ああもう、わかりましたよ!大家さんは話がなげぇんだから」
五郎兵衛親方は恥ずかしくなってしまったのか、手を顔の前でぶんぶんと振った。それを大家さんは少し不満足そうに見ていたけど、それ以上深追いするとまた怒らせると思ったのか、俺を見る。
「秋兵衛さん、すまなかったね、うちを借りちまって」
「え、いえ…」
「すみませんでした、秋兵衛さん…」
おそのさんも涙ながらに俺に謝る。その態度があまりに丁寧だったので、俺はまた親方に誤解されやしないかとちょっとひやひやしたけど、大家さんと親方夫婦はそのまま帰って行った。
とりあえず、五郎兵衛親方には気を遣って、いつも手短に用件を済ませるようにしよう。二口以上しゃべったら怒られそうなくらい、気が短いみたいだ。
「うーん…」
俺は思わず唸った。
作品名:元禄浪漫紀行(12)~(20) 作家名:桐生甘太郎