元禄浪漫紀行(12)~(20)
第十八話 二両のお金
近ごろ、困ったことがある。
俺はだんだんと家事仕事に慣れてきたので、前におかねさんが言い出した「写し物」という、本を書き写す仕事を始めた。それはそれで初めは草書の読み書きに手こずったりもしたものだけど、「そこでほんの少しばかりお小遣いを稼いだ」という話を、あるお弟子さんにしてしまったのである。
その人のことはおかねさんもあまりよく思っていなくて、それこそ来るたんびに家の様子に文句を言ったりして、俺も「嫌な人だな」と思っていた。そのくせ、「謝礼がよぉ、今ぁ払えねえんで、すみませんが…」と、その時だけかしこまった様子になるのだ。
おかねさんいわく、彼は「いろいろと芸を学んで身を肥やす人たち」、つまり「芸狂い」の口で、名前を「甚吉」さんと言った。
歳は二十歳を超えたばかりくらいに見え、いつも粗末な着物を着ていたけど、なかなか三味の腕はよく声もいい方だったので、稽古の時にはおかねさんも機嫌がいい。でも、甚吉さんが「またまた」謝礼を出し渋ったり、なんでもないことでおかねさんの振る舞いなどに文句を言ったりすると、二人はたまに言い合いになるのだった。
俺も影で甚吉さんには少し厄介なからかわれ方をしたり、たまに金の無心をされたりと、困っていた。
ある時、お稽古の最中に俺が井戸端で洗濯をしていると、今日は何事もなく終わって出てきたらしい甚吉さんが、俺の抱える盥に近寄ってきた。
「よぉ、秋兵衛さんよ」
「甚吉さん」
俺は前にも、「師匠と妙な仲なんじゃねえのかい」としつこく言われたりしていたので、その日も警戒して、あまり愛想よくしないようにと思っていた。
「それにしてもよぉ、おめえさんはいいぜ。稼ぎは全部小遣ぇになるし、暮らしはお師匠が持ってくれてると来たもんだ」
甚吉さんは、袷に綿を入れるお金もなかったのかもしれない。寒そうに木綿もの一枚で擦り切れた帯を締め、しゃがみ込んだ足の上に組んだ足を乗せた。そうして俺を覗き込む。
「は、はあ…有難いです」
俺は、もっともらしく下を向き、洗濯物を擦り続けるしかできることがなかった。
「そうだそうだ。それでよぉ、ここへ来たのはよ、ほかでもねぇ、そのおめえさんの小遣いから、いくらか融通してくれねえか、とな…へへっ」
俺が受けていたのは、「ゆすりたかり」だったのだろう。どちらかというと、「たかり」の方だったかもしれない。
甚吉さんは巧みに俺の立場を弱くさせ、そして自分の苦労をそれから長々と語った。
“店賃が払えなくて家を追い出されかけた時に、師匠が助けてくれたのを、感謝している”
“今は真面目に働いているけど、駕籠舁(かごか)きは水商売だから、儲からなければ終いだ”
大体そんなような内容だった。
でも俺は知っている。甚吉さんは近所では怠け者だという評判で、芸達者ではあるが、働きに出るのは週に三度あるかないからしい。
それも、必要最低限のお金を稼いだら店じまいにして、悪くすればそれをみんなお酒に変えてしまうのだ。
そんなことを、おかねさんがこぼした愚痴や、町内の違う長屋の奥さんたちなどの噂話から聴いた。
ある意味で、そんな暮らしが「江戸っ子」としての到達地点かもしれない。その日暮らしに怠けた仕事、芸も女も好き放題。この上なく刹那的だ。
「で、でも…僕が稼いでいるのはほんの少しで…それでお師匠にご恩返しをと、思っておりますので…」
そう言えば引き下がるだろう、とは思わなかった。こういう人はいくらかあげるまで付きまとうし、よっぽどのことをしなければ離れてくれないのが普通だというのは、俺が居た現代でも変わらない。
「そこを曲げて!なんとか頼むよ!これじゃあ俺ぁ、また追い出されっちまう!」
甚吉さんは手を合わせて俺を拝み、ぺこぺこと頭を下げた。
“仕方ないなあ…まあ、いくらかあげて、「次からはいけませんよ」と言うしかないか…”と、俺がそう思っていた時だ。
「甚吉っつぁん。お前さん、何してんだい?」
作品名:元禄浪漫紀行(12)~(20) 作家名:桐生甘太郎