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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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元禄浪漫紀行(12)~(20)

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俺たちは「元徳」に入ると、どうやらおかねさんのお気に入りらしい座敷にまた通された。いつものようにおかねさんは「熱燗を」とお酒を頼み、それからその日は、「鍋がいいねえ、食べ応えのあるものがいいからねえ、“ねぎま”を頼むよ。あとはおにぎりをね」と言った。

え?ねぎま?ねぎまって、あの焼き鳥の?

俺は「ねぎま鍋」がどんなものか想像しながら、少しだけお酒を付き合い、女将さんが「お仕度のできますまでは」と置いていった、ぬか漬けと味噌汁、それからお刺身を食べていた。

どんなものだろうな?やっぱり鶏肉とねぎの鍋かな?まあ美味しいけど、料亭でもそんなものを出すなんて意外だな。この時代、鶏肉は「柏(かしわ)」と言ったんだったっけ?

俺はそのくらいに考えていたが、実際に出てきた鍋は、もっともっと驚く物だった。



おかねさんが蓋を取ると、目の前には、ぶつ切りにした魚の切り身らしい物と、切った葱の入った鍋があった。

え?魚?“ねぎま”なのに?俺はそう不思議に思ったので、ちょっと鍋を覗き込む。

「なんだい、お前さんねぎま鍋は初めてかい?」

「え、ええ…このお魚は、なんの魚ですか?」

浅い鉄鍋の中の魚にはどこかで見覚えがあった気がするけど、ちょっと思い出せなかった。

「鮪さ。鮪と言っても、トロだけどね」

「えっ!トロ!?」

そんな贅沢な鍋を江戸っ子は食べていたのか!つまり、「ネギトロ鍋」ってことじゃないか!しかもトロがこんなにたくさん!

俺はそう思ったのに、おかねさんは「おあがりな」といつものように言い、ぱくぱくと鮪の切り身を食べ始める。

ああっ!もったいない!お寿司で食べたかった!

「どうしたんだい?ああ、お前さん、やっぱりトロは嫌いかい?」

「いえ!そんなことはありません!好きです!」

日本人の誰が鮪のトロが嫌いだって言うんだ!俺はそう断言する!

俺は“こればっかりは譲ってばかりではいられない!”と思ったので、鮪の切り身と葱を焦って箸で掴んで、口に入れた。

ああ、ほろりととろけるトロのうま味…葱の甘み…これ、発明した人を胴上げしたくなる!うまい!

「美味しいですね!」

「そうだろう?普段は捨てるようなところだけど、こうして食べれば、うまいもんさね」

あっ!そうか!

おかねさんの言ったことで、俺はようやく思い出した。そういえば江戸時代にはトロはあまり好まれていなくて、ほとんどの店で捨てていたのだと。

トロよ…よかったなあお前。こんなふうに食べてもらえる場面もあったんだな。

俺はなんとなく鮪のトロに同情しながら、美味しい鍋を噛み締めて温まり、梅干しのおにぎりもおなかに入れて、満腹になった。





食後、おかねさんはなぜか長いこと黙っていて、なかなか最後のお銚子を飲み終わらなかった。それに彼女は、顔色も気鬱そうに見えたので、俺は心配をした。

「あの…おかねさん、具合でも悪いんですか…?女将さんを呼びましょうか?」

「いいや、そんなんじゃないんだよ」

ぼーっとしながらも、悲しんでいるように、おかねさんは空になって脇へ押しやられた鍋の中を見て、それだけ返事をした。

そしてまた奇妙なほど長い沈黙があり、合間に彼女は徳利の中のお酒を飲んだ。でもその飲みようはまるでやけ酒を煽っているようで、食べている間の楽しそうな様子とは全然違った。

「お前さん、この間、「どうして嫁に行かない」って、聞いたね」

そう話しだしてからも、おかねさんは鍋に目を落としたまま、何か別のことを考えているように上の空だった。

「あたしにはね…言い交わした相手がいたのさ。「二世も三世も」と…芝居がかったちょっと気障な男だったけど…誰よりあたしに優しかったのさ…」

俺には、彼女が悲しいことを話しているのだとすぐにわかった。その相手とは結局別れ別れになったことも。

そして、この前の晩、俺が気軽に聞いた一言を寝たふりでやり過ごさなければ、彼女は傷ついて取り乱しそうになるほどに、まだ悲しみが癒えていないのだろうことも…。

俺はうつむいて、“余計なことを言いやがって”と、自分を責めた。


「死んじまったよ。こんな、冬の晩にね…」


それ以上、おかねさんは何も言わなかった。俺も、何も聞かなかった。


「食べ終わった。さあ、帰ろう」。そう言った時にはおかねさんはいくらかいつものように笑っていたけど、それは痛々しく悲しげな微笑みだった。