天界での展開 (3)
「一二三院四五六居士、それは、清直様の御恩情なのです。天界で垢を落とすという事は、同時に身を清めながら、その日の自分の言動を振り返り、恙なく熟せた作業には多くの同僚に感謝し、至らぬと反省した点に付いては、明日こそより良き成果を上げようと心に誓う神聖且つ重要な意味があるのです。ですから、我々天界の官吏は、毎日垢を流すに際して湯は使いません。水を用いるのです。そして、垢を流すに使う水の温度は、0.5度から1.5度と決められております。清直様は、一二三院四五六居士に、その様に冷たい水を使わせるには忍びないとの思いで水道を使う様にと仰せられたのです。」
「そうなのか? 0.5度とか1.5度なんて冷蔵庫の中よりも冷たいじゃないか。」
「はい、人間界の冷蔵庫は、概ね5度。我々が、如何に冷たい水を使っているのかは、少々程度の低いあなたにも想像出来るでしょう。まあ、あなたの場合、例えヒイヒイ言いながら1度の冷水で垢を流しても風邪を引く心配は皆無でしょうが・・ どうしますか? 風呂を使わせて貰いますか?」
「水道で結構だ・・シャワーは欲しいけど。」
「では、大人しく庭先で身体を清めなさい。」
「はい。・・あの~・・」
「まだ、何か?」
「水道のホースを片手で持って、残った片手で洗うのが、どうもまどろっかしくて・・ 出来ればですね、どなたかホースを俺の頭の上に掲げて頂ければ有難いと・・」
「あなたは、何処まで厚かましいのですか!」
「まあまあ、純真様。・・これ、桃花よ。死人が身体を清める間、ホースを掲げてやりなさい。」
「はい・・、ですがご主人様、この死人、怖くありませんでしょうか。途中で暴れたりしないかと不安で堪りません・・」
「だ~いじょうぶだよ、ねえちゃん。あんたの様に可愛い娘にホースを持ってて貰えるのなら、俺は歓んで氷詰めにでもなるよ。決して暴れたりしません。ついでに、妙な悪戯もしませんから。」
「・・・それでは、ご指示に従います。」
「そうそう、そういう素直さが大切なんだよ。じゃあ、行こうか。」
「・・・・」
「・・・」
「ギャ~~~~!!」
「な、何ですか、今のけたたましい悲鳴は?」
「庭先からの声ですね・・・・あっ、あ~~~・・しまった! つい言い忘れて・・」
「・・閻魔殿秘書室第一秘書の純真様! こ、こ、この死人、死装束の下に、一糸も纏っておりません・・例え死人とはいえ、わたしは、男性の生まれたままの姿を目に致してしまいました・・」
「・・迂闊でした・・・・・」
そろりと 参ろう
「おい、秘書さん。もう少しゆっくりと歩こうよ。」
「これが、公務を熟す時の歩く速度だと言った筈です。まして、非常事態に次ぐ非常事態の最中に、ゆっくりなどしておれません。むしろ、私は、駆け出したい心境です。」
「本当にそうなのかい? 俺は、違うね。あの可愛い姉ちゃんとの新婚生活を夢見ながら、あ~なのかな・・こ~なのかな・・『あなた、お帰りなさい。今日も一日、私の為に働いて下さってありがとうございます。さぞかしお疲れでしょうね。さあお風呂で汗でも流して・・』とか言われてだな・・、だけど、俺は天界の風呂の温度に慣れないから、ちょいと躊躇する。そこを素早く勘取ってだな、『大丈夫ですよ。あなたが、天界のお風呂の温度に慣れていないのは、重々承知しています。少しだけですが、温度を上げておきましたから・・』とか、優しいじゃないか。『そうかい。それじゃあ・・』って事で、風呂に入る。途中で、『お風呂の加減は、如何ですか?』と、きたもんだ。『あぁ、決して温かいとは言えないが、お前の心遣いで、俺の身体は、やや暖かい。やや暖かいのだけれども、ここでお前が、一緒に入ってくれたなら、丁度良い温かさになるかも知れない。遠慮には及ばないから、お前も入ってお出で。』『あら・・。その様な事、恥かしくて・・』『今更、何を言ってるんだい。二人でゆっくりと水に浸かって、風呂を終えてからの食事の献立とか、食事の後の色々とか話しましょう。』と言うと、『食事の後の色々だなんて・・』と、ポッと頬をピンク色に染めてだな、恥じらいながらも何だか嬉しそうに、いそいそと入って来る・・。あ~~、もう堪らんな~・・ 神様、仏様、俺は、こんなに幸せで良いのでしょうかと、思わず叫んでしまいたい心境だ。と、まあ、その様に考えてると、俺の足が、停まっているかの様に遅くなるのは仕方ないだろ? 秘書さん、あんたも同じだろ? そりゃ、そうだよな、あの姉ちゃんの親父さんから、『これを機会に、娘と付き合ってくれ。』などと、はっきり申し込まれたんだものな。この期に及んで、何も急ぐ事はない。な~に、閻魔さんは、逃げはしない。あんたも、あの姉ちゃんとの将来を想像しながら、ゆっくりと歩けよ。」
「そうですね・・ って、その様な怠慢は許されざる事です! まして、あの清廉女史と私が、一緒に風呂を使うなど・・」
「考えてみれば、楽しいだろ?」
「それは、まあ・・・・」
「これこれ、何をそんなに、嬉しさで今にも溶けて無くなりそうな顔をしているんだい? ボ~~っと空を見上げて、バカ丸出しだぞ。」
「うっ、バカとは、何ですか!」
「だが、バカもまるで悪くはないだろ?」
「はい・・、時には、バカになるのも悪くない・・」
「そうそう、その調子だ。人間、正直にならなきゃな。」
「私は、人間ではありません。」
「じゃあ、化け物かい?」
「言うに事欠いて、化け物とは!」
「俺に言わせりゃ、化け物さ。若い頃は、遊びたいのを我慢して、やれ宿題だの塾だのと机に貼り付いて、晴れて公務員となってからも、同僚・先輩後輩の顔色を観ながら悲しかろうと怒りに震えていようと、すべて笑顔で誤魔化して、心の中では『今に見てろ。お前達より出世して、四の五の言わせない立場になってやる。』と、残業や徹夜の毎日を過ごす。気付けば、本当の友人も出来ない侭に、年頃になって結婚相手を探そうにも、その方法さえよく分からない。あの女性と話したいと思っても、黙って会釈を交わして通り過ぎるだけで、たまに話す機会が有ったとしても、プライドとエリート面(づら)を前面に出して硬い仕事の話ばかりだ。それじゃあ、お互いに何も理解などし合える訳がない。良いかい、よく聞けよ。本当に賢い立派な人間は、人を威圧などしない。例え仕事中でも、時には、疲れが吹っ飛ぶ様な冗談を言い、上下の差など感じさせない穏やかさを持っている。と、安心寺の和尚が言ってたぞ。それとも、安心寺の和尚は、俺に嘘を教えたのかな・・」
「いや、決して嘘など教えてはいません。」
「そうかい。そりゃ、良かった。ところで、怪我の功名と言うか、良かったじゃないか。あの姉ちゃんに嫌われそうになったら、あんたも素っ裸になって姉ちゃんの目の前を駆け回れよ。そうすれば、四の五の言わせず思いが遂げられるぞ。」
「なるほど・・・ あっ、法を作り、それを率先して遵守すべき立場の私に、あなたは、何という不謹慎な考えを摺り込もうとしているのですか!」
作品名:天界での展開 (3) 作家名:荏田みつぎ