元禄浪漫紀行(1)~(11)
奥に続く入口を抜けると、中は薄暗くて、人が居てもどんな人なのか見分けるのも難しかった。それに、すごく蒸し暑い。蒸気に取り巻かれているようだ。でも、そこにはやっぱり背の低い浴槽があって、みんながお風呂に浸かっている。
うんうん。やっぱり日本人はゆったりお風呂に浸からなくちゃなあ。
俺が入った時には浴槽はいくぶんすいていたみたいだったので、小声で「すみません、失礼します」と声を掛け、お風呂に足を入れる。
「いっ!?」
思わず俺は叫んで、湯に入れた足を慌ててひっこめた。
なにこれ!すんごい熱い!ありえない温度だ!こんなのお風呂じゃない!罰ゲームだぞ!?
でも、俺意外の人はみんな黙ってお湯に浸かっていたし、俺が熱くて入れなかったことがわかったんだろう、お風呂の中で誰か女の人が笑っていた。
俺はそこで、ここぞという負けん気を出した。笑われっぱなしでたまるか!
もう一度おそるおそる入ったお湯はやっぱりとてつもなく熱くて、ゆうに四十五度は超えているんじゃないかと思った。でもなんとかそこへ体を沈めて座ってみると、幸い、お湯の深さは膝のあたりまでしかなかった。
しばらくがまんをしてみたけど、やっぱり途中でたまらなくなって、俺はへろへろになりながら、なんとか湯から上がって、すぐに脱衣所に戻ろうとした。すると、また後ろから誰かが叫ぶ。
「おい!おめえさんよ!」
振り返ると、さっきの男の人だった。でも、さっきもちょっと思ったけど、この人どこかで見たことがあるな。その人は俺に近寄ってきて、肩に手を置くとにかっと笑った。
「おめえ、師匠のところにいた行き倒れだろう。秋兵衛さんって言ったかい。ところで、上がるんなら上がり湯を掛けてけよ」
「え、は、はい。すみません…」
俺は、熱すぎる湯からやっと解放されたばかりで頭がくらくらしていて、「ああ、この人は「栄さん」だったか」と思っても、まともに話もできなかった。
俺も栄さんも上がり湯を浴びて、それから脱衣所に戻ると、服を着る。おかねさんはまだ居なかったけど、他にもたくさん女性は居るので、その人たちを見ないようにするので俺は精一杯だった。
栄さんとちょっと目が合った時、栄さんは俺が女性たちを気にしているのをからかいたがるように、にやにやしていたように見えた。
「ああ~いいお湯だった。すっかり温まったよ」
俺が湯屋の表で待っていて、そろそろおなかがすいてきたなと思っていると、おかねさんがやっと湯屋ののれんから出てきた。そして俺を見ると、彼女は急に笑い出す。
「ど、どうしたんですか?」
「いやいや悪いね笑っちまって。でもさ、おっかしいねえ。あたしゃ思い出しちまったよ。お湯に足を入れた時のお前さんの声ったらさあ」
「えっ…!」
じゃああの時笑っていた女の人は、おかねさんだったのか!
俺は恥ずかしいから顔が熱くて、それからちょっと複雑な気分になった。
俺はすごく気にしていたのに、彼女にとって俺は、同じ風呂に入ろうが何をしようが、どうでもいいんだろうな、と思って。
「何も笑わなくてもいいじゃないですか…」
「いやあ、すまない、悪かったね。ま、でも江戸の男なら、「ちょっとぬるいんじゃねえのかい」くらいは言えるようになっておくれよ」
江戸の男は、大変だ。
作品名:元禄浪漫紀行(1)~(11) 作家名:桐生甘太郎