元禄浪漫紀行(1)~(11)
第九話 大家さん
さて俺たちはやっと一服ついて、それからおかねさんはこんな話を始めた。
「それでねえ、あたしはこの長屋で一人住いってことになってるけどさ、「今度下男を」って話を一度大家さんに通しに行くから、お前さんも行ってよく挨拶するんだよ。うちの大家さんに限って「いけない」なんて言わないと思うけど、少し心配性でね、だから。さ、じゃあ行くよ」
「は、はい!」
俺はおかねさんの煙草盆に煙管を引っ掛け、戸を開けたおかねさんについていった。
コンコンとおかねさんはある家の戸を叩く。すると中から「はいよ、どなたかな?」と、おじいさんの声がした。
「おかねです。開けてください大家さん」
おかねさんは少し緊張しているようだったけど、なごやかな声でそう言った。
「締まりはしてないからね、お入り」
家の奥からはそんなのんびりした声が聴こえた。
「はい。失礼します」
俺は戸を開ける前に目配せをされて、おかねさんは戸を開けると同時に頭を下げたので、俺もそれに倣った。
「おお、どうしたい。そちらは?どなたかな?」
頭を下げたまま少し考えていたようだったけど、おかねさんが顔を上げると、もうそれはいつも通りの顔だった。
「実は、今度うちに下男を置くことになりまして、それで、本人を連れてご挨拶に…」
「おお、そうかい、そうかい。そりゃどうもありがとう。ささ、そこじゃあ話がしづらいから、こっちへ来てあがんなさい。ばあさん!お客人が二人だよ!お茶をおくれな!」
大家さんが奥に向かって叫ぶと、奥からは大家さんよりもさらにのんびりとした「はあい」が聴こえてきた。
「ありがとうございます。さ、お前さんも上がらせてもらって」
「はい」
俺たちは草履を脱いで玄関に揃えると、大家さんが肘をついているちゃぶだいの前に立った。
「さ、ご挨拶おしよ」
俺はほとんどおかねさんがしゃべるんだろうと思っていた。でも、急にしゃべらなければいけなくなったので、俺はちょっと焦った。
それに、「江戸時代の大家さん」と言うとなんだか「ちょっとえらい人」のような気がしていたので、緊張で舌が突っ張って、しばらく何も出てこなかった。でもなんとか笑顔を作って、こう話し出す。
「あ、あの…わたくしは昨日、行き倒れていたところを、おかねさんに助けていただいた…秋兵衛という者です…それで…行くところがないと申しますと、おかねさんが下男として面倒を見てくださるとおっしゃってくださったので…お世話になることにしました。あの…」
そこで俺は、大家さんの顔を見た。すると大家さんはびっくりした顔をしていたので、“もしや気に障ったのでは”と思い、俺はこう言い直した。
「あの、もし大家さんの方で「いけない」ということであれば、もちろんわたくしは出ていきますが…なにぶん、行くところもないので、難儀をしておりまして…」
俺は無理に時代がかったしゃべり方をして頭の中がしっちゃかめっちゃかになって、だんだん自信がなくなってきた。そしてそのまま、うつむいてしまう。
どうしよう。「無作法者だ」なんて言われたりしたら。
しばらく場は沈黙していたが、急に大家さんは「はあ、こらぁ…」とため息を吐いた。
「なにかい、おかねさん。この人はどこで行き倒れてたんだい」
するとそこで、妙な内緒話のようなものが始まった。
「え、日本橋ですが…」
「それで?恰好は?」
「つぎはぎだらけで…それで、着物を神田に買いに行ったんです」
「へえ、そうなのかい。じゃあほんとの行き倒れだねえ…」
「え、ええ…でも…」
そこでおかねさんは横に居る俺をびっくりしたように見つめる。
「秋兵衛さん…お前さんそんなに上等の口が利けるなんて、ほんとにどこから来たんだい?」
「えっ…!?」
しまった!ちょっと丁寧過ぎたか!
俺はこの時代に言葉遣いを合わせようとしたもんだから、丁寧になり過ぎて町人には不自然なほどになってしまっていたみたいだ。でもそれだけのことだし、そんなに慌てはしなかった。
「いえ、違いますよ。でも、何もおぼえていなくて…」
そこへ、大家さんの奥さんなんだろうおばあさんが顔を出し、「あら、おかねさん」と言って、お茶を二杯差し出してくれた。
「まあまあ話をさえぎって悪いが、とにかく座りなさい」
作品名:元禄浪漫紀行(1)~(11) 作家名:桐生甘太郎