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遊園地の普遍概念

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3:厩務員



 厩務員、山下 覚(さとる)さんの朝は早い。

 その起床は、朝というよりも深夜だ。日付が変わってまだほんの1時間しかたっていない深夜1時、山下さんのすぐ頭の上においてある目覚まし時計が、けたたましく鳴り響く。
 山下さんは深夜であることを慮り、それを1コールで素早く止め、むくりと布団から起き上がる。
うだるような暑さの夏の夜も、凍てつくような寒さの冬の夜も、山下さんのこの一連の行動はいつだって変わらない。

 顔を洗い、歯を磨き、夜食と言ってもいいような朝食を食べた後、山下さんは家族を気づかって音も立てずに玄関のドアを開け、仕事へと出かけていく。

 仕事場は、徒歩で15分ほど歩いた先の遊園地。山下さんは、この道を深夜、毎日、歩き続けているのだ。
 途中、街の老舗である豆腐屋にあいさつをしに行く。いうなれば、朝早い仕事をなりわいにしている者同士だ。今日もお互い元気に仕事をしていることを確認してから、山下さんは遊園地へと急ぐ。

 深夜2時前。
 遊園地に無事到着し、山下さんは職員待機室でタイムカードを押す。そして、更衣室に入り、いそいそと作業服に着替え始める。菜っ葉色のさえない作業服だが、もはや園内では山下さんのトレードマークと言っていい。
 着替えが終わり、背中に干し草など諸々の道具を背負って、遊園地の入り口へと向かう。入り口に着くと、山下さんは、門の横の建物内で眠い目をこすっている門衛に声をかけた。

「おぁ、山下さんかい。お疲れさん」

 門衛も手慣れたもので、すぐさま体勢を起こし、建物から出て門を開く。山下さんは、門を横切って遊園地内の人となった。

 門衛の見送りを背に受けながら、山下さんは園内を足早に歩いていく。園内は電灯もついてなく、真の闇といってもいい暗さだ。しかし、山下さんの足取りに迷いはない。広い園内を迷うことなくスタスタと歩くさまは、まさに仕事人のそれだ。

 歩き続けて数分、ついに仕事場である目的地にたどりつく。最低限の明かりをつけ、防護柵を開けて中に入ると、そこには白馬が数頭、美しく飾り付けられてたたずんでいる。
 だが、その目には生気がなく、さらに首の後ろには、直径数センチの鉄の棒が肉体を縦に貫いていた。建物は、馬以上にきらびやかに飾り立てられており、円形に回転するような構造になっている。

「よーしよし。今、朝ごはんやるからな」

 山下さんは、背中の干し草を下ろす。そして、目の前の白馬──回転木馬の白馬の前に、干し草の束をフォークで差し出した。

「……」

 当然、うつろな目のその白馬は、干し草を食み始めることはしない。しかし、山下さんはどんどんと次の白馬へ、干し草の束を与えていく。
 すべての白馬へ干し草の提供が終わると、山下さんは清掃や点検を始める。白馬の通り道である回転床の清掃から始まり、防護柵も一本一本、丁寧に傷ができてないか確認していく。白馬たちの体もよく拭いて、ブラッシングも欠かさない。白馬を貫いている鉄の棒も入念にチェックして、一通り作業を終えると、白馬の前に置いていた、食べるはずもなかった干し草を一つ一つ片付けていく。
 ここまでの作業を終えたところで、おおよそ明け方の5時。山下さんは10分ほど小休憩をとる。季節によっては朝日が昇り始める頃だ。無論、光すらも刺さない時期もある。しかし、どんなときも山下さんの作業ペースや休憩を取るタイミングは、いささかも変わらない。

 休憩を終えると、山下さんはおもむろに回転木馬の電源を入れる。物々しい起動音が鳴り響き、目もくらむような華やかな光が四方八方に放たれる。そのまばゆい光の中で、ゆっくり、ゆっくり、ガチャン、ガチャンという機械的な音を立てて、白馬は円軌道を描いて走り始める。
 その白馬たちを一頭一頭、足をけがしているものはいないか、体調を崩しているものはいないかと、山下さんは目を光らせていく。ウォーミングアップと呼ばれる作業だ。数周して、問題のある馬がいないことを確認すると、山下さん本人が順次、調教を行っていく。一頭ずつ丁寧に白馬にまたがり、感覚で調子を整えていく。たたずまい、呼吸、上下の揺れ……山下さんは5感を研ぎ澄まして、異常がないかどうかを丹念に時間をかけて調べていくのだ。

 すべての白馬の調教が終わる頃には、もう確実の陽の光が昇っている。
 山下さんは、最終調整を行った後、最後の掃除を軽くこなして、担当者に回転木馬を引き継ぐ。だいたいこの頃に、開園の時間となる。


 遊園地が開園すると、さまざまなアトラクションへと駆けていく子どもたちを見ることができる。観覧車やコーヒーカップ、ジェットコースターやフリーフォールといった絶叫系……。回転木馬も、それら人気のアトラクションの一角だ。開園してすぐ、子どもたちが続々と群がり、白馬に乗って揺れと回転を楽しんでいく。
 山下さんは、そういった子どもたちを何人か見て、安全を確認してから園を去り、帰路につく。帰り道、行きに寄った豆腐屋で豆腐を買い、それを奥さんに渡してから、少し仮眠を取るのだ。

 夕方、閉園時間に合わせて、山下さんは再び遊園地に向かう。そして、回転木馬の電源を切る作業のみを行い、再び家路につく。


 以上が、回転木馬厩務員、山下 覚さんの一日である。


 なお、数年前、機械で動く回転木馬に、厩務員など必要ないのではないかという指摘を受け、山下さんは一度、園から解雇されたことがある。だが、解雇当日から回転木馬が謎の故障で動かなくなり、開発元のエンジニアも原因を究明できず、やむなく再雇用されて今日に至るという。


作品名:遊園地の普遍概念 作家名:六色塔